1953年~1958年
1953年10月1日に北京の天安門広場で行われた国慶節の大行進には、中国人民が平和を迎えた喜びと新中国建設のために奮闘する熱意があふれている(1953年第6号)こちらから全文閲覧ができます!
1954年にまだ建設中だった武漢長江大橋は、新中国が戦争の傷を癒やす中で「天塹変通途」(長江という天然の堀を道に変える)という雄大な志を成し遂げた(1954年第8号)こちらから全文閲覧ができます!
1954年12月、平均標高3000㍍以上の西康・チベット自動車道路が開通し、不便だったチベットの交通状況を劇的に変え、チベット高原の経済と文化の発展に有利な環境をつくった(1955年第1号) こちらから全文閲覧ができます!
1956年6月、中華人民共和国最高人民法院特別軍事法廷は第2次世界大戦中に中国でさまざまな残虐な罪を犯した日本の戦犯への裁判を行った。これらの戦犯たちは思想改造後、大多数が心から悔い改めて更生し、中日友好事業の重要な一員になった(1956年第8号) こちらから全文閲覧ができます!
1957年6月、中華全国総工会が組織した登山隊が四川省にある標高7590㍍のガンガ(貢嘎)山に登頂し、中国登山史の新たな章を開き、高い目標に果敢に挑む中国人民の精神を示した(1957年第9号) こちらから全文閲覧ができます!
1958年、中国人民志願軍は朝鮮から帰国した。新中国は勢いよく前進する平和建設の時代に入った(1958年第12号) こちらから全文閲覧ができます!