この目で見た中国の実情を日本に伝えよう!

2023-05-23 15:29:00

とき 1962年5月24日 ところ 湖南省長沙 

出席者 日本中国友好協会訪中代表団全員 

古谷荘一郎 (本部常任理事、下関支部事務局長)

大島徳弥 (中野支部事務局長)

小浦行長 (熊本支部事務局長)

河野寿生 (西淀川支部機関紙部長)

石川賢作 (名古屋支部常任理事兼文化部長)

天道正人 (広島支部常任理事)

倉田守 (三重県連合会理事兼伊勢支部事務局長)

鈴木良一郎 (北海道支部連合会理事小樽支部副会長)

(発言順)

 

古谷 わたしどもが中国を訪問してから、ちょうどきょうで二十六日めになると思うんです。『人民中国』編集部ではわれわれの代表団に一つ座談会をひらいて、読者諸君のために、ぜひわれわれの中国訪問の感想をつたえてもらいたい、とまあこういうわけで革命的伝統ゆたかな長沙の地で座談会をひらくことになったのです。わたしどもが日本をでてまいりますときに、中国は三年らいの自然災害をうけて、ひじょうに困難に直面している、内乱でもおこるんじゃないかなんてデマがとばされていた。ところで、わたしたちはこんど自分たちの目で実際にみてきたんだから、最初にこの問題を日本の読者につたえる必要があると思うんです。まず最初に東京都出身の大島さんからお話をねがいたいと思います。

人民公社は後退したか?

大島 わたしも日本をでるときに、友人たちからも目をさらのようにして農村をみてきてほしいといわれました。人民公社をはじめ農村を四回にわたってみてまいりましたが、そういう災害の現実はたしかにあったにはちがいありません。しかし、人民公社の人たちがこれをいかに克服したかということがいちばん大事な問題じゃないかと思います。やはり、このような農民の組織が中国を災害からすくっているということを、ひじょうに切実にわたしたちは感じるわけです。それで、中国の友人たちに、災害のことを、また人民公社後退のことをきくと、みんなワッハッハと笑うわけです。

小浦 たしかに中国にきてみて、災害におしひしがれているというふうな顔色は、どこにいったってみられなかったですね。わたしは自然災害とは逆に、人民公社の優越性というものがはっきりしめされたんじゃないかと痛切に感じたわけです。大島さんもいわれましたようにわたしたちは四つの人民公社をまわって参観しましたが、ほとんどの人民公社が三回なり四回なりのひじょうに大きな災害をうけておるんですけど、生産が皆無になるんじゃなくて、昨年よりもすこし生産がへったという程度で克服されている。しかも人民公社の人たちの生活が向上しているということを、四つの人民公社をまわってつくづく感じたわけです。

河野 小浦さんが人民公社の優越性というものが災害をふせいだということをいわれましたが、その点わたしも同感で、訪問した四つの人民公社のなかでいちばん災害がひどかったといわれておるあの公社、南昌市(江西省)からおくにはいったところですが、あそこが、昨年も四回にわたって、しかも四月、六月、八月、九月というようなひじょうに重要な時期に大洪水をうけておる。まあ百年に一回ぐらいしかない大災害だったということですが、共産党も、政府も、となりの人民公社も全体がいっしょになって災害をふせいだわけです。生産も例年よりほんのすこし下回った程度で、生活も収入の方もふえている。そういった点についてはわたしもひじょうに驚いておるわけです。

石川 ぼくがいちばん感じたことは、具体的というよりも、いちばん基本的な点なんです。やっぱり自然災害というものは困難な条件であったと思うんですがね、その困難な条件のなかから将来への発展の新しい基礎と新しい条件をつかみだしたということはね、これは中国の政治のやり方に基本的につながる問題じゃないかと思います。いままでの困難な条件を克服したということは、この次にふたたび自然災害がきても、それに十分にこたえられるという条件がこのさいつくりあげられた、そしてさらに発展する条件をかちとったという意味で、ぼくは中国ではすぐれた指導がなされているというふうに思うわけですよ。そういうふうにとらえてゆかないと、現在中国の全体でなされている調整·強化·向上·充実というあの方針というものが理解できないわけです。ただ困ったからやろうかということじゃなくて、困難を克服するなかで、次の新しい躍進の基礎をここでつくりあげていく、それも千篇一律にやるのではなくてね。たとえば土地所有の問題なんかでも、こちらが不勉強で驚いたのですけれども、生産大隊の所有のところと、生産隊の所有のところと二通りあったわけですね。それを質問したら、いや生産大隊の所有であろうが、生産隊の所有であろうが、生産にもっともつごうがいいならそれでいいのだ、というのです。生産をあげ、人民公社を発展させるという方針のなかで、いろんな要素をその土地の条件に応じて発揮させるという指導がなされている。そういう指導のやり方っていうことについて、ぼくは感心したですね。

ひどい災害をうけた地区での見聞

天道 わたしたちはどういうふうな災害のあとがのこっておるのか、またそれをどのように克服しておるのかという点をひじょうに注意をはらって見学したわけですが、ほとんどその跡をみっけることは困難であったわけですね。そこで、われわれは、大きな災害をうけたところをぜひみたいとお願いしたところ、豊城県の太陽人民公社ですか、あそこを見学させてもらいました。


古谷荘一郎氏
古谷荘一郎氏

古谷 だいぶ、自動車でゆきましたね。

天道 南昌から六〇キロほどだったと思います。

ところがやっぱり、災害のあとをほとんどみることができなかった。ただその水害のときの水位ですね。二メートルといいましたかね、家の壁のわれわれの背丈よりはるかに高い所にはっきりと跡がついていて、あそこまで水がきたのだと、教えられて、はじめてそのおそろしさを知ったというようなわけです。しかも農民の人びとの表情といい、動作といいですね、意気天をつくというか、ひじょうに明るいですね。それから、その太陽人民公社の社長さんにお会いしてその説明をうけたわけですが、なんとその社長さんは二十七歳でした。年をきいて若いのにびっくりしましたね。そして、自信をもったきびきびとした説明には、ほんとに胸をうたれましたよ。あそこの浸水はだいたい一万ムー(六六·七万ヘクタール)、食糧の損失量は一八七〇トンというような説明を淡々とされるわけですな。そして、もう基本的に困難は克服しました。春に失ったものは夏にとりかえす、夏に失ったものは秋にとりかえす、とこういうんですね。

倉田 ぼくらは太陽人民公社のきれた堤防のあとへいってみたのですが、いまになっても相当きつい水量のあるところでしたから、あれは相当危険なところだったと思うわけです。堤防が決壊したのは二〇〇メートルでしたよ。そのあとがひじょうにひどいもんになっておりましたが、いちはやく復旧して、こんどは八〇〇メートルからのまえにもました強い堤防がつくられておる。日本の場合とちがって水害を永久的にささえられるものに完全になおしてゆく、そういうことがやられている。

鈴木 わたしは医者なんですが、ひとりひとり、身体検査をしたわけでもないんですけれども、いたるところで、おばあちゃん、お年寄り、あるいは子供、赤ん坊を注意して顔色なり栄養状態など注意して見たつもりなんですがね。なんというか、栄養のおとったような、さむざむとした感じがないですね。みんな、顔色がいいし、元気がいいし、働いている人たちの肉体、手足をみてたって、ふとっておられるですなア。それから、水害の状態を見て、何日か水につかってたわけで、飲料水からなにからめちゃめちゃになってたと思うんですが、あれで伝染病が全然出なかったというんだから、われわれ資本主義国に住んでいるものの想像に絶する状態ですね。また、生産隊の衛生所をちょっとのぞいてみたんですがね。薬も結構そろってますし、きちんとしてるんですよ。そこにね、だいいち病人がいないんだな、お医者さんなんかちゃんといるんだけどね。

倉田 医療機械なんか、じつに新しいいい機械だったでしょう。顕微鏡なんか、いい顕微鏡だったですね。

小浦 わたしは災害克服の基本的な指導という点についていいたいのですが、中国の共産党ならびに政府の指導というのは、じつにゆきとどいていると思います。たとえばさっきお話にでた太陽人民公社では、三つの方針が出されている。それを具体的に話していただいたわけですが、それを申し上げますとまず第一番めに、堤防がきれるとまず決壊した場所を復旧するということに、すべてが動員される。被害をうけた人民公社では、すぐ全社員の会議をひらいて意志を統一して、自分自身で災害を克服できるんだという確信をまずつかむ。それから共産党、政府、となりの人民公社、解放軍とすべての力がそこに集中されて堤防をきずき水をくいとめる、修復する、ということが第一におこなわれる。それができたらつぎには、生産の回復です。水であらって生きてゆくような苗は、水であらってその管理をよくしてゆく、もうぜんぜんだめなイネの苗はほかの作物にうえかえる。第一回の水害でやられたあと、またやられたらおなじことをくりかえす、春にやられたら、秋にとりかえすのだというのです。第三番めは社員の生活を安定することです。社員の方がたも水害で家がつかったり、糧食がなくなったり、いろいろしてるわけですが、国家から救済資金として相当額の金と食糧がおくられる。メリヤス、シャツ、医療品、あるいはお菓子、砂糖、それから家具その他の修理で木材までおくられる。竹とかわらその他のものをふくめば相当額のもので、これで社員の生活の安定が保証されます。このようにじつにゆきとどいた方針と指導が具体的に実施されているということから、あのような大きな自然災害でも克服できるんだということ、これは人民の国である中国だけしかできないんじゃないかというようなことをわたしは特に感じたわけです。

古谷 災害の問題については、われわれはいろいろ感じたわけですが、だいたいこのへんで話をうちきって、次の問題にうつりたいと思います。われわれこんどメーデーに参加したわけですが、メーデーの前夜の陳毅副総理の招待宴、メーデーの当日のもよおし、あるいはアジア、アフリカその他のヨーロッパの人びとといろいろ交流をしましたが、まあそういった点の話なり、感想なりをひとつお話しねがいたいと思います。

 

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