1959年~1964年
1959年に上映された『林則徐』をはじめとするハイクオリティーな映画は、新中国の映画産業の進歩を反映している。新中国の映画産業は急成長し、中日映画交流もこの時期から始まった(1959年第11号) こちらから全文閲覧ができます
本誌は創刊後、多くの著名人の寄稿を掲載した。これは中国の有名な劇作家で国歌の作詞者田漢が、1960年の日本新劇団の訪中公演について書いた特別掲載記事(1960年第12号) こちらから全文閲覧ができます
1961年4月、新中国で初めて開催した世界大会となる第26回世界卓球選手権大会が北京で開かれた。数年後、中国は「ピンポン外交」を展開し、「小さな玉」が「大きな玉(地球)」を動かす初の快挙を成し遂げた(1961年第6号) こちらから全文閲覧ができます
1962年、日中友好協会訪中団が湖南省で行われた座談会で中国側の参加者と語り合った。この時期に両国の民間交流は幅広く展開され、「民をもって官を促す」方針の下、中日関係が絶えず前進するのを推し進める重要な役目を果たした(1962年第8号) こちらから全文閲覧ができます
1963年10月、LT貿易の進展という背景の下、日本工業展覧会が北京で開催し、両国の経済貿易交流の推進に大きな手本を示した(1963年第12号) こちらから全文閲覧ができます
1964年、中国経済貿易展覧会が東京で開催。これは新中国成立後初めて国外で開かれた大型展覧会であり、中国が研究開発・製造した製品が日本人に披露された(1964年第6号) こちらから全文閲覧ができます