1983年~1988年

2023-05-25 16:39:00

1980年代、大学生ボランティアが学業の傍ら、市民の手伝いをした。社会は大学生たちの「第二の講堂」となった(1983年6月号) こちらから全文閲覧ができます

 

本誌記者は福建省恵安県の漁村に入り、変わりない現地の純朴な風習を取材し、その土地のリアルな暮らしを報道した(1984年1月号) こちらから全文閲覧ができます 

 

1984年9~10月、第2回中日青年友好大交流が繰り広げられ、訪中団メンバーはそれぞれ中国の6都市に行き、各地で熱烈な歓迎を受け、深い交流を行った。日本の各界から来た3000人余りの青年代表と100万人近い中国青年の大交流は、中日の代々の友好を推進し、アジアと世界の平和と安定を守るという両国の青年の素晴らしい願いを示した(1985年2月号) こちらから全文閲覧ができます

 

1985年1011月、日本の友好団体の招待を受けた500人余りの中国青年が「中日友好の船」に乗り、中日友好交流は再び盛り上がりを見せた。訪日団は中国青年の生き生きとした姿を見せ、交流活動でも日本社会への理解を深めた(1986年3月号)  こちらから全文閲覧ができます

 

1982年、計画出産政策(一人っ子政策)が中国の憲法に盛り込まれた。本誌はアンケートを取り、政策の実施状況について客観的な報道と分析を行った(1987年5月号)  こちらから全文閲覧ができます

 

改革開放政策が実施され続ける中、中国に来て働き暮らす外国人も増えた。本誌では「外国人が見た中国」というタイトルで、外国人視点の当時の中国を紹介した(1988年4月号) こちらから全文閲覧ができます

 

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