団結と友情のひと月
杭州 9月10日 (金)
晴
廬山をくだり一夜を列車のなかで過ごし、朝八時五〇分に杭州につく。宿舎は西湖(シーフー)のかたわらにある杭州ホテル。
晴れわたった大空のもとに湖水がうつくしい。日本の友人たちは杭州の若ものたちと西湖に舟をうかべて友情を語った。
午後、日本の友人たちは都錦生(トウチンシヨン)絹織物工場と西湖人民公社の梅家鳩(メイチヤウー)茶つくり生産大隊を参観する。梅家塢生産大隊では茶畑で日本の友人たちもいっしょになって茶をつんだ。茶つみの娘たちは茶をつみながら〈茶つみ歌〉をうたう。友人たちは日本の民謡をうたった。
日本の友人のいくたりかは社員の家をたずねた。おばあさんの手伝いをしていた孫和英(スンホーイン)さん(一二)は客の姿をみつけると、門口にとんでいって「いらっしゃい」と日本の兄さんや姉さんにあいさつをした。日本の友人たちは、孫家の部屋や炊事場を興味深くみた。別れをつげると、六三になる孫おばあさんは月餅と梨をお盆にのせてさし出し、「今日は中秋節じゃから月餅をたべるのがきまり。それにこの梨はわしらの公社でとれたもんで、さあ、たべておくれ……もしも解放まえにあんた達がみえたら、わしのところには何ももてなすものはなかったじゃろう。いまは毛主席のおかげで、客をもてなすもんがある。わが家に帰ったつもりでたべておくれ!」といった。孫和英さんは月餅と梨をひとつずつ日本の兄さんや姉さんたちにくばった。こうしたもてなしに日本の友人たちはとても感謝し、「ここにいると、自分の家にかえったような気持ちになります」といい、色紙に〈日中人民団結万歳!〉と書き、それに各自が署名してこの家におくった。
夜、中秋の佳節を祝って杭州市の若もの数千人が西湖で日本の友人と盛大なつどいをもった。会場は平湖秋月。柳の枝に色さまざまのちょうちんがつられた。魚、竜、エビ、カニ、鳥、獣、花などいろんな形をした一〇〇あまりのちょうちんがならぶ。中日青年の友好と団結をえがいた絵ちょうちん。また〈東京―北京〉〈中日青年友好大交流万歳!〉〈中日青年は団結して共同の敵アメリカ帝国主義に反対せよ!〉〈中日両国人民は永久に仲よく暮らそう!〉といった文字をしるしたちょうちんなどもあった。
堤にたつネオンのスローガン、照明灯の光が湖面に映る月の光とともに照り映えて、会場は昼をあざむく明るさだ。杭州市長の王子達(ワンツーター)氏にともなわれて、日本の友人たちが湖にそった芝生に姿をあらわす。午後の六時に早くも会場につめかけていた労働者、大学生、中学生、少年、児童など、杭州の若ものたちは日本の友人と手をとりあってうたい、踊りはじめた。中日両国の若ものたちは多彩な出し物をひろうした。杭州の若い芸術家は〈沖繩をかえせ〉〈ゴー·ホーム·ヤンキー〉〈京浜労働者〉の三つの日本の歌をうたった。
日本の友人たちも起ち上がって中国の若ものと合唱した。中日両国の若ものの戦闘的な友情にあふれる歌ごえは、ひとつにとけあって西湖のほとりにひびき渡った。
九時ちかくなると、日本の友人たちは杭州の若ものといっしょに、ちょうちんでかざった遊覧船にのりこみ、中秋の名月をあおいだ。大交流の舞台は、陸から湖中に移り、水面には何千という蓮をかたどった灯籠が浮かび、湖に光をそえた。杭州第四中学の生徒は同じ船の日本の友人たちに、自分たちでつくった木彫の船をおくった。船には〈東京―北京〉の文字がしるされていた。友情の船で東海を中日両国の通路にかえ、中日両国の若ものの友好往来をもっとさかんにしようという気持ちをこめたおくりものだった。
無数の船が金波銀波の湖上に浮かんでいる。船上では、両国の若ものが月餅をたべ、月をながめながら語り合っている。あるものはふるさとの月見を語りあい、あるものはともにアメリカ帝国主義とたたかおうと語りあっている。都錦生絹織物工場の若い労働者陳瑞珍(チエンルイエン)さんが明りのついた蓮のちょうちんを日本の友に手渡すと、日本の友はそれに〈日中青年友好万歳!〉と書いて、そっと水面に浮かべた。ちょうどそのとき、夜空にみどり色の信号弾がうちあげられ、つづいて五彩の花火が湖上にひろがった。〈孔雀開屏〉〈百花怒放〉などいろんな花火が夜空いっぱいにうちあげられ、湖上にいるものも陸にいるものもどっと歓声をあげる。花火と歓声は中日両国の人民、青年の友情をみごとに織りなしていった。
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