団結と友情のひと月
洛陽 9月8日(水)
曇ときどき晴
八団体九六名の友人は竜門(ロンメン)石窟を見物する。
伊河(イーホー)の流れにのぞむ竜門石窟は北魏―隋―唐の三代にわたってひらかれた古代彫刻の宝庫である。中国三大石窟のひとつにかぞえられ、石仏が九万七三〇六尊もあるといわれる。石窟最大の仏像は高さ一七メートル、いちばん小さな仏像は高さ一〇センチにもみたない。
残念ながらこの石窟は元代以後国民党支配期にかけて自然力による破壊と人為的な破壊をうけてひどくそこなわれてしまい、貴重な彫刻は帝国主義者に盗みさられた。
解放後、政府は保管所を設けて修理をくわえた。
一行は夕方洛陽をあとに江蘇(チヤンスウ)省の無錫(ウーシー)へ向かう。出発までの三時間を利用して王城(ワンチヨン)公園にある漢代の墓(二基)をみる。
無錫 9月9日(木)
晴
一〇一四キロの汽車の旅は二四時間。休息を十分にとった一行は午後無錫につく。無錫は太湖(タイフー)のほとりに位する町である。
駅から太湖ホテルに向かう。夕日に染まる太湖は波ひとつみせず、遠くに戻り船の帆がのぞまれた。二二〇〇平方キロの面積をもつ太湖は涯て知らぬ水面をひろげる。江蘇、浙江(チエチヤン)の両省にまたがるこの湖はつきぬ水源として湖畔の耕地をうるおす。
陝西省北部の高原から江南の自然美にとむ米どころにやってきた日本の友人はすっかり気分を一新したようだった。
食事のあとで錫劇見物。錫劇はこの地方の芝居で独自の風格をもっている。友人たちは評弾(語りものの一種)も聞いた。いずれも地方色を満喫したようであった。とくに錫劇は現代ものであり、中国の演劇人が革命化の道をすすんでいるのを友人たちは如実にみたわけである。
無錫 9月10日(金)
晴
無錫での二日間、いや太湖ですごした二日というほうがぴったりする。この二日間、日本の友人たちは自動車をとばし、船に身を託して思う存分に太湖を楽しんだ。
一行は太湖で泳ぎ、魚を釣り、山にのぼり、舟をこぎ、湖畔で食事をとった。また蠡園(リーユワン)の芝生では相撲をとり、歌をうたい、踊った。少年先鋒隊員たちと踊った全日農の友人たちは汗びっしょりで息をはずませるほどだった。
太湖での第二日目は中秋名月の佳節。錦園(チンユン)で一行は月見をする。緑茶をのみながら月餅をたべ、ハス、ヒシをたべた。甘い小豆粥に舌つづみをうつ。ハスとヒシ、それに小豆粥はこの地方独自の味、太湖の名物である。月見のまえに中日両国の若ものは卓をかこんで夕食をとった。
名月のもとで両国の若ものは湖をバックに歌い踊って楽しく時を過ごした。
湖畔からホテルまでの二キロほどの道のりを両国の若ものは自動車にものらず、月光を浴びながら手をつなぎ、歌い、話し合って歩いた。
無錫 9月11日 (土)
晴
八つの代表団は米どころの公社をたずね、社員の家によばれて客になる。
日本の友人たちはカイコに桑の葉をやって世話をした。やがてそのカイコは両国の若ものの友情に光る糸をはきだすことだろう。うたごえ代表団の友人たちは、公社で淡水魚の養魚をひろくやっているのを聞き、日本の漁民の踊りを社員たちにひろうした。
夜、無錫をたって大交流の最後の場所―上海(シヤンハイ)につく。ついたのは一一時。
一行は北京―西安―延安―洛陽―無錫―上海と三四五六キロを旅した。これに要した日数は一二日であった。
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