団結と友情のひと月
ふるい友、新しい友
香煙たちこめる静安(チンアン)寺を訪ねた宗教青年代表団の団員は巨幅の仏画に興味をひかれた。仏画はいまから四〇年もまえに同寺の住職―持松法師が日本留学中に友人からおくられ、帰国後も住職の秘蔵品として今日にいたったものである。若い友人たちは、中日両国の先輩たちの深い友情のしるしに接してたいへん心をうたれた。松下隆洪さんは、恩師の名刺を持松法師(七三)にさしだした。名刺をうけとった持松法師はうれしそうに「おお、ふるい友だちです。旧友です」といった。
法師は日本留学当時松下さんの恩師といっしょに学んでいたのである。昨年の秋、持松法師は日本でひらかれた第二回世界宗教徒平和会議に出席し、多くの友人を日本でえた。そしていま、若い日本の友人たちをまえにし、ふるい友、新しい友にめぐまれた法師は「中日両国人民の伝統的な友誼は、アメリカ帝国主義に抗し、世界の平和をまもる共通のたたかいのなかで新しい高まりにたっした」と興奮して語った。やがて法師は筆をとり「中日両国人民友好団結世代綿延」と書いて若い日本の友人におくった。宗教青年代表団の小室裕充団長も、「南ベトナムの仏教徒が反米愛国正義の闘争でしめした感動にみちた事績については、かねてから知っていました。いま、日本での反米闘争に宗教界はひろく呼応しています。日中両国人民はしっかりと腕をくんでわれわれの共同の敵に反対しなければなりません」と頬をかがやかして持松法師にいった。小室団長は寺にそなえられている〈友誼増進〉記念帖に、「日中両国青年和人民世世代代友好下去」(日中両国の青年と人民は末長く友好をたもってゆこう)と中国語でしるし、他の団員もそれに署名した。
おなじスローガンのもとに
日本で一〇〇万人が反米統一行動をはじめたとのニュースがつたわると、上海滞在中の日本の若ものたちは、「日韓条約」批准阻止、米帝国主義のベトナム侵略反対のプラカードをかかげて市内をデモ行進し、日本での反米統一行動にこたえた。
その日―九月一四日の夜、南京東路と外灘(ワイタン)一帯は旗の海と化した。若い日本の友人たちはプラカードをもち、スローガンをしるしたたすきをかけ、鉢巻をしめて民族の独立と自由をめざすたたかいの歌を高らかに歌いながら、反帝闘争のかがやかしい伝統をもつ南京路をすすんだ。「アメリカ帝国主義を打倒せよ!」「アメリカ帝国主義は台湾と沖繩から出てゆけ!」と、かれらは怒りをこめて叫んだ。南京路の両側の歩道を埋めるおびただしい上海市民は、日本の友人たちに歓呼と拍手をもって敬意を表した。ビルの窓もベランダも人でいっぱいに埋っていた。中国の若ものたちはつぎつぎに日本の友人の隊列に加わり、デモ隊はしだいに隊列をのばしていった。中日両国の若ものたちの力づよい歌ごえとスローガンを叫ぶ声が夜空をふるわした。
全日本学生文化会議代表団の山本政道団長は、「いま、日本の人民の反帝闘争はひじょうな高まりをみせています。わたしたちは中国にきていますが、じっとしておれない気持ちです。このデモ行進は日本にいる人たちとともに、たたかっているという気持ちのあらわれです」と記者に語った。
大交流の行事をつうじて日本の若ものと深い友情をむすんだ上海の若ものたちは、四方八方から日本の友人のデモ行進にくわわった。それはアメリカ帝国主義にたいする限りない憤りと日本人民のたたかいをあくまで支持する気持ちをしめすものにほかならなかった。
永久に腕を組んですすもう
文化広場でひらかれた参加者一万を数える盛大な送別会で、中日両国の若ものの戦闘的友情は大きくもりあがった。みないくども固い握手をかわし、熱をおびた言葉をかけあった。日本から持ってきた記念品を、すっかりおくってしまった林裕子さん(民主青年同盟代表団員)は、セーターのボタンをつぎつぎちぎっては中国の友におくった。そのボタンはちいさい。しかし、それには人の心をうたずにはおかぬ戦闘的友情がこもっていた。
送別会で日本の友人が、「われわれはちかい将来、みなさんの代表を日本に迎えて、大交流を催すために最大の努力をはらいます」とのべると、演壇の下にいた神野光さん、保科和子さんはそばにいた若い新劇俳優の曹雷(ツアオレイ)さんの手を両方からにぎりしめ、「一定(イーテイン)」といった。曹さんはならいたての日本語で、「かならず」とそれに答えた。
若ものたちはひじょうに興奮していた。送別会で涙をながした若ものたちは少なくなかった。〈グラフわかもの〉代表団の廬田一代、高橋千代子、大沢シズエさんたちは顔をおおって泣いていた。
「もうすぐ友好的な隣国と友情に厚い友人とお別れするのだと思うと、とてもつらい。けれども、帰国してすぐたたかいにくわわるのだと思うと、興奮をおさえきれません。こうした複雑な気持ちから泣けるのだと思います」
とかの女たちはいった。
「いまは泣く余裕がありますが、日本に帰ると泣くひまもありません。たたかいがぼくたちをまっています」
という友人もいた。
「そうだ、ぼくたちは別れるといっても心はむすばれている。新しいたたかいのなかで、若い血とそのたくましい力で友情の花をもっとたくさん、うつくしく咲かせよう」と、中国の若ものはこたえた。
日本の友人たちは、ホテルのまえで駅へのバスにのりこんだ。バスのすすむ通りの両がわではおおぜいの市民たちがこころからの別れのあいさつをおくった。
杖にすがる老人、大人の肩にのる子供、退勤途上の労働者、買物にゆく主婦、カバンを肩にした少年先鋒隊員など道ゆくあらゆる人びとが、手をふった。プラットホームに入ると、中日両国の若ものはしっかりと抱きあい、いつまでも語りつづけた。別れをおしむ両国の若ものの目に浮かぶ涙はかれらの願いをたたえて光っていた―
北京で、東京で、また会おう!
たたかいの勝利をたえず伝えあおう!
中日両国青年と人民の友誼よ永遠に!
(本誌記者)
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