抗日戦争勝利50周年

2023-05-26 16:20:00

ときどき起こる不協和音

―確かに、中日友好関係の発展は今日まですばらしいものがありましたが、侵略戦争であったことを認めないような不協和音も、よく聞かれました。何人かの閣僚が「失言」で交替させられましたが、同じような発言が後を絶たない。彼らはなぜあんなに「失言」に熱中しているんでしょうか。

駱 いや、あれは「失言」じゃなくて本音です。歴史の真実を本心から歪曲しているんです。一九八六年以来、藤尾正行文相、奥野誠亮国土庁長官、中西啓介防衛庁長官、永野茂門法相、桜井新環境庁長官、橋本竜太郎通産相らが相次いで「失言」をし、日本に侵略された国の人民の感情を傷つけた。そうした批判が、日本をアジアで孤立させている。日本の中国侵略戦争で、中国人民は筆舌に尽くしがたい被害を受けた。日本の少数の者のこの種の発言は、中国人の感情としては許しがたく、私は断固として反対する。

林 小説家にもいるね、そんなのが。まあ新機軸を打ち出したつもりなんだろうが、歴史を改竄(かいざん)して軍国主義を復活させ、日本が太平洋戦争で勝ったなんてフィクションがよく書かれている。中でも永山昭の一連のシリーズや、十四版まで重ねた荒巻義雄の『青い艦隊』などは、すべて太平洋戦争に別の結末をでっちあげ、軍国主義に勝利を与えている。これらの小説は、日本はアジアを侵略したのではない、西方帝国主義の支配から解放し独立を与えたんだ、と言っている。勝手に現代史を歪曲するこういうやり方は、日本の出版界を憂慮させている。若い人は歴史を知らないから、この手の小説がはびこると、歴史認識を混乱させる恐れがあるわけだ。

駱 それから、あの「ノー」と言うのが好きな石原慎太郎も、歴史に対してずっと「ノー」と言い続けている。彼に代表される一群の人びとは、侵略の犯罪行為を否認し、南京大虐殺を否認し、果ては太平洋戦争を「民族解放戦争」であると言う。また一部の右翼分子は「この戦争は百十四カ国を解放し、二十二億の人民を独立させた」と言っている。侵略行為を美化するこうした論理に対して、われわれ中国人も「ノー!」と強く抗議します。

―「歴史とは、何でも言いなりになる小娘みたいなものだ」と言った人がいます。なぜ人間は歴史の真実を改竄したがるのでしょうか。

符 歴史の真実を改竄することなんて、できはしませんよ。南京大虐殺にしてもそうです。田中正明は、もっともらしく十五の理由を挙げてあの虐殺はなかったと言っているが、彼は大事なことを忘れている。例えば石川達三が書いた『生きてゐる兵隊』、これが国際世論の傍証になっているんです。南京に攻め入った兵士の日記の中にも犯行の記録がある。

駱 今年三月十七日の『ニューヨークタイムズ』は、第二次大戦中に日本軍が中国で人体実験を行ったという記事を掲載しました。考えさせられるのは、かつて七三一細菌部隊の隊員だった人物が取材に対し、七三一は伝えられるような残虐行為はやっていないと答えたんですが、そう否定しながらも彼は、いくつかの驚くべき事実を語っているんですね。

それから、南京の七三一部隊と言われる栄一六四四部隊も許しがたい犯罪を行っていたのだが、アメリカ人が資料獲得のためにその犯罪者を放免したという事実もある。このことに当たったアメリカ軍将校は、当時を回想してこう言っている、「今から思えば、あの日本人たちを許したのは間違いだった」と。

林 日本の極右団体は八百四十以上ある。その構成員は多くはないが、その力は決して小さくない。一定の勢力を形成し、真実を語る人びとに圧力を加え、人心を惑わせている。香港の『信報』が最近伝えたところによると、「不戦決議」に反対するために彼ら極右分子は四百五十万人の署名を集めたという。これは警戒すべき事実ですね。

張 そういった濁流に対して、われわれも無関心ではいられないが、過大評価する必要はない。その中には、歴史の真実を知らない人が相当いるからです。軍国主義思想が今の日本に大きな動向となっているわけでもない。今の時代環境や社会制度や上部構造は、五十年前とはもはや大違いですよ。

孫 『日本経済新聞』が今年三月に行った世論調査によると、中国を日本の友好国だと見る人が六〇パーセントにも上っている。大多数の日本人は日中友好を望んでいるんですよ。

日本はドイツの経験を参考に

―日本軍国主義は中国に侵略戦争をしかけ、中国人民に重大な災厄を与えたわけですが、日本人民もまた重大な被害を受けました。あの戦争が侵略戦争であったことは、すでに国際的な定説となっているのですが、戦後五十年になってもこの問題は日本国内ではいまだに解決されておらず、日本と隣国との関係にきしみをもたらしています。その原因はいったいどこにあるんでしょう?

張 主な原因は三つあると思う。第一に、第二次大戦後、冷戦構造が形成され、中国革命が成功したとき、日本を占領していたアメリカは日本を利用して中国とソ連を抑止するため、それまでの対日「民主化」政策を一変させ、軍国主義者の徹底的追及を停止したので、ある戦犯のごときは後に首相にまでなった。こうして日本軍国主義思想の徹底的粛清は不発に終わり、戦前の侵略拡大主義を否定する反動的言論、例えば「聖戦」とか「自衛の戦い」「英米植民地の解放戦争」などを唱え、それなりの市場を占めているわけです。

符 それに比べると、ドイツのナチズム清算はずっと徹底していた。だから、ドイツは日本より歴史を正視する勇気を持っているとよく言われている。

駱 かつて、シュミット元西ドイツ首相はこんな主張をしたことがありますね。「日本が戦争をしかけたのだということを、日本の首相は明確に認めるべきだ」と。「最大の課題は、侵略の被害を受けた国との関係改善にある」と彼は言い、最近も同じことをくり返している。日本とドイツの戦後処理に関する考え方の違いが、ここに見られますね。

張 第二に、日本政府は五十年前のあの戦争を侵略戦争であったとはまだ公式に認めていない。村山首相は今回の訪中で、「侵略行為」「植民統治」という言葉を語った。それは、あの戦争の見方に一つの進展を見せたものだが、「侵略戦争」と認めるにはなお一定の距離を残している。もちろんわれわれも、八〇年代以降日本の首相が対内的には認めていることは知っている。例えば中曽根首相は「侵略」を認め、竹下首相も類似の発言をした。細川首相も「私個人としては、侵略戦争だったと認識している」と語った。だがこれらはすべて、対外的に公式の場で言ったものではなかった。政府が公式に侵略戦争であったことを肯定していないため、一群の極右分子や加害者意識の希薄な政治家たちが侵略戦争を堂々と弁護し、活動の余地を今に残しているわけだ。

第三の原因は、戦後生まれの若い人が自ら戦争を体験していないことだ。学校でも、青少年に歴史を正しく認識させる教育が不十分だった。だから、これら若い人の大多数は侵略戦争を美化するようなたわごとに対する弁別力に欠け、そのためタカ派議員たちも毒をまき散らしやすくなるんです。

符 第二次大戦の歴史をわずかしか知らないという若者が非常に多いし、少し知っているという者でも、日本が原爆の被災国であることくらいで、日本軍国主義の侵略なんてほとんど知らない。

孫 「日本人は歴史を若い世代に教えたくないのだ」と西側でも言っている。

―だからこそ『人中』の若い読者が、「中国が五十年前の戦争にそんなにこだわる理由がわからない」と言うんですね。

林 中国は日本の軍国主義の侵略に遭い、民族と世界の反ファシスト戦争の勝利のために戦い、日本の全兵力の七〇パーセントを中国大陸に釘づけにし、三千五百万人の死傷者を出し、一千億ドルの財産を失ったんです。これでは「こだわる」のは当然でしょう。しかしその「こだわる」目的は、総決算とか報復とかではない。「前事不忘、後事の師」とよく言われるように、次代の人びとを教育し、戦争は残酷であり平和こそが美しいものであるということを知ってもらいたいからですよ。

駱 日本の教科書はドイツを見習うべきです。ドイツ人は教科書を編集するとき、ポーランドなど被害を受けた国ぐにの意見を求め、歴史と他国の民族感情を尊重している。だからこそ国際世論から高く評価され、「政治的に健全」と認められているんですね。

符 歴史問題を処理したドイツの経験は、日本が参考とするに値すると思う。ドイツは、国内に対してはナチズムの犯罪を清算し、国外に対しては侵略を認めた。最近はまた特別立法で、ナチの犯罪を否定してはならない、アウシュビッツ大虐殺の史実を否定する者は最高五年の懲役に処する、と定めた。ドイツ連邦憲法裁判所も昨年四月、そのような論調を発表することは言論の自由の範囲を逸脱している、との判決を下した。ドイツの歴史問題に対するこういう態度が、周辺諸国の信任と理解を獲得し、ヨーロッパおよび世界各国との関係を発展させるための政治的基礎を築いたのです。

孫 冷戦構造が解消されてから、世界の発展は多極化の方向をたどった。平和的発展への道を歩いた日本も、多年の努力で経済大国になり、国際的な地位や影響が日増しに高まりつつある。日本は世界の多くの極の一極になるでしょう。日本は国際社会の中でさらに大きな仕事をしようと希望しているが、もし日本政府が過去の戦争に対し真剣かつ深刻な反省を示さなければ、周囲の国ぐにに疑惑の念を与え、政治大国から軍事大国へ向かうのではないかと恐れさせるだけです。

林 私の知る限り、東南アジアの人びとはずっとその恐れを持ち続けていますよ。もし日本がドイツ人のように歴史を正視する勇気を持てば、日本は国際社会でもっと尊敬されるんです。

符 日本が隣国の民族感情を尊重すれば、隣国も日本の民族感情を尊重するようになり、日本に「残忍な民族」などというレッテルを張ることはなくなるんだが……

張 そう。互いに相手の民族感情を尊重し、民族感情を傷つけないよう最大の努力を払うようにすれば、この地球上の紛争もうんと少なくなるんだがねえ。

―今年二月、江蘇省揚州のある建築現場で、千百七十七個もの日本製爆弾が出て来ました。それらには「昭和十六年」という文字が刻まれていましたが、今もなお殺傷力を持っていたので、専門家が七時間二十分もかけてやっと処理したそうです。戦争はこんなところにも恐ろしい危険を潜めていたんですね。

林 われわれが反ファシスト戦争勝利五十周年を祝おうとしている矢先だったからねえ、実に象徴的な出来事だった。世界にはまだ戦争の暗影が残っているんだ、決して太平の世の中ではないんだという事実を指摘してくれたんですよ。

駱 全くです。戦争は終わりましたが、戦争の暗影はまだ存在しているんです。数年前のことですが、靖国神社を取材したとき、昔の軍服を着た数人の老人が軍刀を振っているのを見て、おかしくもあり、また薄気味悪くも思った。彼らは、関東軍に所属していたと言っていましたが、こういう殺気に満ちた老兵が戦争だとわめいているのを見ると、世界永遠の平和なんてまだ遠い先の話だと思いますよ。

符 しかし違った考えを持っている老兵もたくさんいます。最近彼らは、軍国主義時代の醜悪な歴史を美化してはならぬ、と関係方面に警告した。その中には、七三一部隊にいた人とか、憲兵としてハルビンにいた人などがいる。彼らは過去の罪を悔い、歴史の真実を否定する人びとを厳しく非難している。第二次大戦終戦五十周年に当たって、彼らはこういうやり方で平和を呼びかけ、人びとの称賛をかちえているんです。

今、二十一世紀に向けて

―村山首相がさきほど訪中されたとき、とくに盧溝橋と中国人民抗日戦争記念館を訪問され、これが国内外の関心を集めたわけですが、先生方はどのように思われましたか。

林 あの記念館を訪問した日本の首相は今までいなかったんですからね、私は敬服しました。歴史を正視する勇気がなければ、盧溝橋には行けませんよ。

孫 館長さんの説明によると、見学を終えた彼は「節目の年に、私はかつて中国人民に重大な損害を与えた戦争の象徴的な場所、盧溝橋を訪れ、過去の歴史に思いを寄せ、平和への決意をいっそう新たにした」と語った。また記念館の求めに対し「歴史を直視し 日中友好 永久の平和を祈る」と揮毫し、在席した両国の人びとの熱い拍手を受けられました。

駱 村山首相は中国で、過去の日本の侵略戦争に対し「深刻な反省」をし、その基礎の上に立って日中友好を推進しなければならない、と語った。これは前向きな発言だと思います。過去の歴史を振り返るのは、そこから有益な教訓をくみ取るためです。「前事不忘、後事の師」という言葉を、われわれは永久に伝えて行かねばなりません。

張 今回の訪中は大成功だったと思う。中日双方が、第二次大戦終結五十周年を新たな起点として、さらに友好関係を発展させようという意志を表明したわけです。これが中日関係の大勢であり、いかなる勢力もこれをはばむことはできないのです。双方は過去を鏡としてともに平和を祈願し、アジア·太平洋地域の平和と安定に大きく貢献しようとしている。全世界が永遠に発展の道を歩むよう、われわれも「平和、繁栄、安定」の世界を二十一世紀に持って行こうじゃないですか!

―すばらしい結論を頂戴しました。みなさん、本当にありがとうございました。

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