国交正常化から 感動と知恵40年の歩み

2023-05-29 14:16:00

二〇一二年は中日国交正常化四十周年に当たり、両国関係史から見ても節目の年だ。国交正常化以来、両国関係は平坦とは言えない道を歩んできた。政治、外交面では、寒気と暖気が絶えず起伏を繰り返してきたが、総じて、絶えず発展と前進を続け、大きな成果を上げてきたと言えよう。経済面では、二〇〇七年、中国は初めて米国と入れ替わって、日本にとって最大の貿易パートナーとなり、日本は中国にとって第三の貿易パートナーとなった。 

こうした中日関係の節目を機会に、本誌は大型グラビア特集を企画し、読者の皆さまに、写真で往時を振り返っていただきながら、この四十年を中日関係史の一章として、心に留めていただきたいと思う。(肩書は当時) 

1972~1977年《回復》

不正常な状態に終止符

1972年9月29日、中日両国政府は『中華人民共和国政府と日本国政府の共同声明』を発表し、両国間の不正常な状態に終止符を打ち、外交関係を樹立した。中日国交正常化の実現は、中日関係史の新たな1ページを開き、両国の各分野における友好協力関係に新たな洋々たる前途を切り開いた。 

1972年9月27日夜、北京·中南海で田中角栄首相、大平正芳外相、二階堂進官房長官と会見し、田中首相に『楚辞集注』1セットを贈り、握手する毛沢東主席(中央)
1972年9月27日夜、北京·中南海で田中角栄首相、大平正芳外相、二階堂進官房長官と会見し、田中首相に『楚辞集注』1セットを贈り、握手する毛沢東主席(中央)
1972年10月3日、東京で開かれた日中国交正常化と新中国成立23周年を祝うレセプション1
972年10月3日、東京で開かれた日中国交正常化と新中国成立23周年を祝うレセプション

周総理と田中首相が握手 

中日国交正常化は両国人民の共通の心からの願いだった。国交回復前、中日両国はすでに民間の文化、経済貿易交流を展開していた。毛沢東、周恩来ら中国の指導者も、日本の友人に会うたびに、何度も中日関係の正常化に対する希望を伝えていた。一方、日本の政界、経済界、文化界の人士も同様の願望を表明していた。

一九七二年、田中内閣が成立して間もなく、田中角栄首相は次のように語っていた。「当面の急務は中華人民共和国と国交正常化交渉を行うことであり、われわれは激動してやまない世界情勢において、積極的に平和外交を推進しなければならない。ひとことで言えば日中関係の解決である」。田中首相の表明に、周総理が直ちに反応した。イエメン代表団歓迎宴の席上、周総理は「田中内閣は成立以来、外交的に中日国交正常化を積極的に実現しようとしており、これは歓迎に値する」と語った。

七月二十二日、大平正芳外相は訪日中の孫平化中日友好協会副秘書長一行と会見した。孫氏が中国政府を代表して、田中首相に対する訪中を招請し、田中首相がこれを受けた。九月二十五日、歴史的な瞬間がついにやってきた。田中首相一行を乗せた特別機が北京首都空港に到着した。田中首相はタラップを足早に降り、機体の近くで待っていた周総理としっかりと力強く握手した。

双方は四度の首脳会談を経て、九月二十九日、『共同声明』を発表し、両国間の不正常な状態に終止符を打ち、外交関係を樹立したことを宣言した。

この日から、中日関係史の新たな一ページが開かれた。

1972年9月27日、姫鵬飛外交部長の案内で、万里の長城を訪れた田中角栄首相ら
1972年9月27日、姫鵬飛外交部長の案内で、万里の長城を訪れた田中角栄首相ら
日本側が発行した国交正常化の記念メダル。表面は周恩来総理と田中角栄首相、裏面は天安門(写真提供·王錦思)
日本側が発行した国交正常化の記念メダル。表面は周恩来総理と田中角栄首相、裏面は天安門(写真提供·王錦思)
 
12345下一页下5页
関連文章