国交正常化から 感動と知恵40年の歩み

2023-05-29 14:16:00

成果大きい3000人訪中

中日両国の青少年が理解と交流を深めることが両国の世代友好の基礎だ。1984年、3000人の日本の若者が中国を訪問したことは、両国青年の大規模の友好交流の序幕だった。あれから20年余、当時の参加者は長い間、各自の持ち場で、両国国民の友情を増進し、友好事業を推進するために、積極的な役割を果たしてきた。 

1984年10月1日、北京·中南海で開かれた中日友好交歓会で日本の青年代表、長年中日友好活動に携わってきた先輩諸氏らと記念写真に収まる胡耀邦総書記(前列右から4人目)
1984年10月1日、北京·中南海で開かれた中日友好交歓会で日本の青年代表、長年中日友好活動に携わってきた先輩諸氏らと記念写真に収まる胡耀邦総書記(前列右から4人目)

かつての新聞記事は語る 

日本では「三千人訪中」は特別な意味を込めた言葉であり、空前の規模を誇る青年交流の歴史は、両国交流史に刻まれた出来事だ。

三千人訪中に参加した板本登さんは、当時の中国の新聞を保存している。一九八四年九月三十日の『人民日報』の一面の右上に掲載された記事の肩見出しは「三千人の日本青年が北京に集合、両国青年の交歓は最高潮に」、主見出しは「我が方の三団体が盛大な歓迎会開催」、彼の名前は脇見出しに出ていた。彼は当時、中華全国青年連合会主席だった胡錦濤氏が歓迎会を主宰したことや、中国の各紙が記事と写真で中日青年交流の盛況ぶりを報じたことなどを話してくれた。また、貴重な写真も掲載されていた。天安門の前、天安門の観覧スタンド席、人民大会堂、故宮、万里の長城での様子や十三陵での植樹の光景から、当時の歓声と笑い声も写真にプリントされているようだ。

板本さんは、「私は青年交流をライフワークだと考えており、日本とほかの国との青年交流にも参加しましたが、規模から見ると、三千人の訪中は人数が最も多い活動で、最も忘れがたい活動です。私は当時に最初の日中友好21世紀委員会の日本側代表団の一員として訪中しました。同じ時に、招きに応じたのは、数百の団体、組織と個人で、彼らの政治的な立場と活動分野はさまざまでしたが、中国青年との友情を深め、共に両国の未来を切り開くという気持ちはまったく同じです。青年時代の交流は一生忘れないものです」と語った。

1984年9月24日、北京空港で歓迎を受ける3000人の日本青年代表団。一行は上海、西安、広州3都市でも中国青年と交歓活動を行った
1984年9月24日、北京空港で歓迎を受ける3000人の日本青年代表団。一行は上海、西安、広州3都市でも中国青年と交歓活動を行った
1984年10月1日夜、天安門広場で国慶節を祝う花火に歓声を上げる中日両国の青年たち
1984年10月1日夜、天安門広場で国慶節を祝う花火に歓声を上げる中日両国の青年たち

 

文化交流が心の懸け橋

中日両国の文化交流の歴史は長く、共通点も多く、互いの意思疎通と理解は簡単だと思われる。多くの分野で、あらゆるレベルの文化交流によって、文化の力は言葉のハードルを乗り越え、両国民の友好と理解を深めるための心の懸け橋となっている。 

京劇と歌舞伎には共通点 

梅蘭芳氏は世界で名を馳せる京劇の大家として知られている。二十歳のとき、すでに京劇の「四大名旦(女形)」のトップになっていた。梅氏は前後三回にわたって日本に赴き公演を行い、中国芸術の粋と言われる京劇を日本国民に率先して紹介した。

一九一九年四月、梅氏は初めて訪日し公演を行った。日本の国民は初めて見る京劇の魅力のとりこになった。一九二三年、関東大震災の発生後、郷土の復興に励む日本国民を支援するため、梅氏は再び劇団を率いて訪日し、チャリティー公演を行った。一行は歌舞伎俳優と同じ舞台に立ち、東京で十五回、その後大阪で五回にわたって公演を行い、収益はすべて被災地に寄付した。

一九五六年、中日友好を促進するため、六十二歳の梅氏は三回目の日本訪問を実現した。今回は京劇梅派の継承者として息子の梅葆玖氏も連れて行った。五十三日にわたり、合わせて三十二回の巡回公演を行って、大きなセンセーションを巻き起こした。

歌舞伎俳優と同じ舞台に立って公演を行う中で、梅氏は多くの歌舞伎俳優と深い友情を結んだ。歌舞伎は日本で最も古典的な演劇芸術であると梅氏は思った。一九五五年と一九七九年の二度にわたって、歌舞伎俳優が中国で公演を行った。一九八七年、有名な歌舞伎俳優である坂東玉三郎氏がわざわざ北京に来て、梅葆玖について京劇の名曲『貴妃酔酒(酔った楊貴妃)』を学び、その歩き方と「水袖(京劇衣装の一種)」を、のちに自分が出演した歌舞伎『玄宗と楊貴妃』で披露した。

これについて梅葆玖氏は、「玉三郎さんが北京に来て、わたしから楊貴妃の仕草を学ぶとき、威張ったところは少しもなく、非常に謙虚でした。また学びながら新しさを見いだしていました」と回顧していた。一方、坂東玉三郎氏は京劇について次のように語った。「歌舞伎と京劇とは芸術的な形としては異なるものの、同じアジアの演劇芸術として相通じるものがあります」

歌舞伎俳優との記念撮影に応じる梅蘭芳氏(中央)
歌舞伎俳優との記念撮影に応じる梅蘭芳氏(中央)
2009年11月17日、上海国際芸術祭の最後の演目『牡丹亭』に出演した「日本の梅蘭芳」と称される歌舞伎の大御所·坂東玉三郎氏(左)
2009年11月17日、上海国際芸術祭の最後の演目『牡丹亭』に出演した「日本の梅蘭芳」と称される歌舞伎の大御所·坂東玉三郎氏(左)
 

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