国交正常化から 感動と知恵40年の歩み

2023-05-29 14:16:00

 

2012~ 《未来》

国民交流友好年から

二〇一二年は中日国交正常化四十周年にあたる。二〇一一年十二月、野田佳彦首相が中国を訪問した際、温家宝総理と会談した。両国首脳は、今年を「中日国民交流友好年」に定め、また五千人規模の中日青少年の交流活動を行い、「新たな出会い、心の絆」をテーマに、両国国民の交流を全面的に推進することで合意した。

二月十六日、「友好年」の日本側開幕式が北京で行われた。中国の劉延東国務委員、直島正行首相特使、中日友好団体会長ら各界代表が出席した。温総理は祝辞で次のように語った。中日友好の基礎は民間にあり、中日関係の未来は、両国人民が手を携えてつくるべきだ。錯綜した複雑な地域と国際環境に直面する中、両国は絶えず相互理解と信頼を深め、平和と安定を維持し、互恵と協力を拡大すべきだ。これは双方の根本的な利益に合致し、アジアの振興と繁栄に有利だ。

野田首相は祝辞で、一九八四年に青少年三千人の訪中交歓活動に参加した当時を振り返り、自分自身が「日中交流の子」だと語った。また、中日間で交流活動を開催することによって、より多くの「交流の子」が生まれることを期待すると述べた。

中国側開幕式は四月十日、東京で開催された。中国政府特使の蔡武文化部部長は、中国政府は中日関係を高度に重視しており、日本と共に努力を重ね、中日間の戦略的互恵関係を全面的に深めようと表明した。「友好年」はすでに三百ほどのプロジェクトに着手し、実行に移されている。いずれのプロジェクトにも、両国社会の中日関係をさらに深めようというすばらしい未来図が織り込まれ、両国国民の中日友好に対する強い願望が凝集されている。またこれらは中日間の戦略的互恵関係の全面的推進に自信と力を与えている。

藤村修官房長官も、正常化四十周年と「友好年」の関連活動を通じ、日中間のより多くの「新たな出会い」を増やし、両国により多くの「心の絆」がつくり上げられるよう期待したいと語った。藤村官房長官が読み上げた野田首相の祝辞では、国交正常化四十周年というチャンスをとらえ、各レベルでの対話と交流を通じ、中日間の戦略的互恵関係を深めようと強調されていた。

2012年2月16日午後、北京で開催された中日国交正常化40周年、「中日国民交流友好年」開幕式での鏡開き。木槌を持っているのは、劉延東国務委員(中央左)、首相特使·直嶋正行元経産相(中央右)、米倉弘昌「日中国民交流友好年」実行委員会委員長(左から2人目)ら cnsphoto
2012年2月16日午後、北京で開催された中日国交正常化40周年、「中日国民交流友好年」開幕式での鏡開き。木槌を持っているのは、劉延東国務委員(中央左)、首相特使·直嶋正行元経産相(中央右)、米倉弘昌「日中国民交流友好年」実行委員会委員長(左から2人目)ら cnsphoto
 

中日関係年表

(一九七二~二〇一二) 

■一九七二年 

【九月二十五日~三十日】田中角栄首相が訪中。二十九日、中日両国は『中日共同声明』に調印し、国交を正常化し、外交関係を樹立

【十一月九日】衆議院が中日両国政府の『共同声明』を支持する決議を採択

【十一月二十七日】日中経済協会が東京で成立

■一九七三年 

【四月三日】小川平四郎初代在中国大使が、董必武国家主席代理に国書を手渡す

【四月五日】中国の陳楚初代駐日本大使が、天皇に国書を手渡す

【四月十六日~五月十八日】廖承志氏を団長とする中日友好協会代表団が訪日

【四月二十四日】日中友好議員連盟が東京で成立

【五月四日】中日海底ケーブル協定が北京で締結され、翌年着工、一九七六年に供用開始。これは中国が共同出資で建設した初めての国際ケーブル

【六月二十四日】天津市と神戸市が中日間で初めての姉妹都市となる。この後、中日間で続けて二百以上の都市が姉妹関係に

■一九七四年 

【一月三日~六日】大平正芳外相が訪中

【一月五日】北京で「中日貿易協定」を締結

【四月二十日】「中日航空協定」が北京で締結

【十一月十三日】「中日海運協定」が東京で締結

■一九七五年 

【四月十八日】中日貿易混合委員会が北京で第一回連合会議を開催

【八月十五日】「中日漁業協定」が東京で締結

【八月十五日】中日両国政府が総領事館の設立問題について、北京で覚書を交換

【九月二日】在上海日本国総領事館が開館

【九月二十九日】日中協会が東京で成立

【十月十八日】日本工業技術展覧会が北京で開幕

■一九七六年 

【三月八日】中国駐大阪総領事館が開館

【十月二十五日】中日海底ケーブル開通式が北京と東京で開催

■一九七七年 

【三月十一日】日中平和友好条約推進委員会が東京で成立

【五月三日·七月十七日】中華人民共和国展覧会が名古屋と札幌で開幕、百九十五万人が参観

【九月二十九日】北京で「中日商標保護協定」締結

【十二月二十七日】日中科学技術交流協会が東京で成立

■一九七八年 

【一月三十一日】日本で日中長期貿易協議委員会が成立

【二月十六日】「中日長期貿易協定」が北京で締結

【八月八日】園田直外相が訪中し、十二日、中日両国は『中日平和友好条約』に調印。これは両国の友好関係が新しい段階に入ったことを意味する

【十月二十二日~二十九日】鄧小平国務院副総理が訪日。これは中国の国家指導者の初めての訪日。二十三日、『中日平和友好条約』の批准書交換式が東京で行われ、条約が正式に発効

【十二月二十三日】上海宝山鋼鉄総工場の建設を開始。この工場は日本の技術と設備を大々的に取り入れ、新時代の中日友好協力の成功を象徴するものとなった

この年、松山バレエ団が十一月まで、北京、上海、杭州などで中国巡回公演を行う

■一九七九年 

【一月八日】歌舞伎訪中団が訪中し、友好訪問公演を行う

【一月十二日~十七日】参議院代表団が訪中

【二月六日~八日】鄧小平副総理が訪日

【四月八日~十九日】鄧頴超副委員長が全国人民代表大会(全人代)代表団を率いて訪日、十六日に京都の嵐山で周恩来の詩碑「雨中嵐山」の除幕式を挙行

【四月十七日】中国中央テレビとNHKが共同撮影を行う中国初の大型テレビドキュメンタリーシリーズ『シルクロード』の協議が成立

【五月七日~六月五日】廖承志氏を団長とする「中日友好の船」一行の六百人訪日団が訪日

【九月二十九日】東京で日中人文社会科学交流協会成立

【十一月一日】東京で中国留学生友の会成立

【十一月二十日】初の中日合弁企業である京和公司成立

【十二月五日~九日】大平正芳首相が訪中、初の対中政府借款(ODA)の供与を承諾

【十二月六日】北京で「中日文化交流協定」が締結。両国の文化、教育、学術、スポーツなどの方面の交流発展目標を確定

■一九八〇年 

【一月二十九日】中国から日本に贈られたパンダの「ホアンホアン」が東京·上野動物園に到着

【四月一日】日本が中国に特恵関税待遇

【四月十三日】奈良唐招提寺の鑑真和上坐像が中国で巡回展覧

【五月二十七日~六月一日】華国鋒国務院総理が訪日。これは中国の総理の初訪日

【九月一日】第一回中日政府間文化交流協商会議が開催

【十二月三日】初回の中日政府閣僚会議が北京で開催。同会議は一九八七年六月までに計五回開催

■一九八一年 

【一月二十六日】中日両国の租税条約交渉の第一回会談が北京で開催

【二月十八日】中日友好病院建設の設計協議書に北京で調印

【三月二日~十六日】中国残留孤児の第一回訪日肉親探しが行われる

【三月三日】北京で中日渡り鳥保護協定締結

【三月二十日】北京で五千万円の対中文化無償資金協力の覚書交換

【四月四日~二十六日】日本の新劇訪中公演団が訪中し、訪問公演

【五月十日】中日経済知識交流会第一回会議が箱根で挙行

【六月二十三日~二十四日】中日科学技術協力委員会が北京で第一回会議を開催

【十一月三十日】第一回中日エネルギー協議会が北京で挙行

■一九八二年 

【一月二十二日】中国国際信託投資公司が東京で協議書にサインし、日本で百億円の社債を発行

【四月六日~六月四日】北京京劇劇団が訪日公演

【五月三十一日~六月五日】趙紫陽国務院総理が訪日し、「平和友好、平等互利、長期安定」という中日関係の三原則を提起

【八月二十九日】中日合作映画の『未完の対局』が北京と東京で同時上映

【九月二十六日~十月一日】鈴木善幸首相が訪中し、中国侵略についての歴史教科書の表記改ざん問題について、日本は『日中共同声明』の精神に基づき、早期に解決させると表明

【九月二十七日】中日国交正常化十周年を祝う代表団が訪日

【十月七日~九日】第一回中日民間人会議が東京で開催

■一九八三年 

【二月十八日】中曽根康弘首相が国会答弁の際に、過去の日本が中国に行った戦争を侵略戦争であると認める

【六月十四日~十五日】第一回中日高級事務レベル協議が東京で開催

【九月三日】「中日租税条約」に調印

【十月一日】「中国兵馬俑展」が日本で巡回展覧される

【十一月二十三日~三十日】胡耀邦中国共産党中央書記が訪日。二十四日、両国リーダーは「中日友好21世紀委員会」の設立に合意

■一九八四年 

【一月三十一日】北京で文化無償資金協力協定締結

【三月二十三日~二十六日】中曽根首相が訪中。「中日友好21世紀委員会」設立協定締結

【九月十日】東京で「中日友好21世紀委員会」第一回会議が開催

【九月二十二日】日本で「中国歴代陶俑展」が巡回展覧

【九月二十四日】日本の青年三千人が訪中。北京、上海、西安など六つの大都市で中国の青年と大交流会を行う

【十月二十三日】中日友好病院の診療開始式が北京で挙行

【十二月二十六日】中日間で相互に総領事館を開設する口頭了解メモが交わされる

■一九八五年 

【四月二日~二十九日】彭真全人大常務委員長が訪日。これが全国人民代表大会常務委員長の初訪日

【四月三十日~五月二日】第一回中日大学学長会議が北京で開催

【五月四日】中国が長崎市と福岡市に中国総領事館を開設

【五月二十日~二十三日】二十一世紀中日経済シンポジウムが北京、上海で開催

【八月十五日】中曽根首相と閣僚が公人として靖国神社を参拝。これは戦後初の現職首相の靖国神社参拝で、この行動は中国人民の感情を傷つけたと中国側は指摘

【十月十日】第一回中日外相定例会議が北京で開催

■一九八六年 

【一月二十二日】中日長期貿易会議が東京で開催、双方は今後五年間の長期貿易協議に合意

【五月二十八日~三十一日】中国貿易代表団と通産省の拡大貿易訪中団が、中日貿易をいっそう拡大し、両国の中長期の経済·貿易協力を発展させるために、北京で会議を開催

【八月九日】通産省は両国貿易の均衡を促進するための「日中貿易拡大協議会」を設立

【十月六日~八日】第一回中日経済協力会議が東京で開催

【十一月八日~九日】中曽根首相が訪中。訪問期間中、中日青年交流センターの定礎式が北京で行われる

■一九八七年 

【一月十一日~十五日】竹下登自民党幹事長が代表団を率いて訪中

【一月十八日~二十七日】田紀雲副総理が訪日

【九月十日~十八日】衆議院、参議院が「日中友好関係をさらに増進する决議」を採択

【八月二十九日】二日間の中日少年スポーツ交流大会が開幕

■一九八八年 

【一月二十二日】日中友好会館の落成式が東京で挙行

【一月二十九日】南京大虐殺五十周年を記念する一般人の日中友好集会が東京で開かれる

【八月十二日】通産省は十五日から中国への電子計算機の輸出制限を緩和すると発表、同年十二月二十七日、さらに緩和すると発表

【八月二十五日~三十日】竹下登首相訪中。日本政府は一九九〇年から一九九五年まで、中国に八千百億円の借款を提供すると発表、さらに「日中技術交流会議」の設立に合意

【八月二十七日】北京で「投資の奨励及び相互保護に関する協定」に調印

【十月六日】北京で中日仏教学術交流会が開幕

■一九八九年 

【三月三日】東京で中日第二回資源開発銀行ローンについての支払い協定に調印

【四月十二日~十六日】李鵬国務院総理が訪日。天皇が李鵬総理と会見した際、初めて「遺憾の意を表します」という形で中国に謝罪

【四月十四日】中日投資保護協定の発効通知書の交換式が東京で行われる。協定では、中国へ投資した日本企業に利便や優遇を提供、有効期限を十年と規定

【八月八日】日本政府は中国南部の水害地区に二百万㌦相当の緊急物資の援助を決定

【十二月五日】北京で五十億円近い対中無償援助協定に調印

【十二月五日】笹川良一氏が五十億円を出資し、「笹川日中友好基金」を設立、無償で日中間の政治、経済、文化、教育などの分野での友好交流活動に用いる

■一九九〇年 

【三月十七日】大阪で中国の長沙馬王堆遺跡の発掘品の展覧会が開催

【四月十一日~十二日】北京で中日外交当局第十回協商会議が開催

【六月七日】北京で中日投資促進委員会を設立

【八月十三日】東京で中日米が「中日海底光ケーブル·システム建設に関する協議覚書」の調印式

【九月二十日~二十三日】竹下元首相が訪中し、アジア競技大会の開会式に出席

【十一月十日】石原慎太郎自民党議員が南京大虐殺を否定する論文を発表し、中国がこれを非難

【十一月二十七日】北京で中日姉妹都市卓球交歓大会が開催

■一九九一年 

【五月三日】北京で中日青年交流センターの開業式典が開催され、中曽根元首相、竹下元首相らが出席

【六月五日】北京で中日投資促進機構の初の合同会議が開催

【八月十日~十三日】海部俊樹首相が訪中

【九月二十六日】朱鎔基副総理は伊東正義日中議員連盟会長と会見し、いかにして中日友好協力関係をさらに発展させるかについて意見を交換

【十月五日】中日科学技術交流シンポジウムが東京で開催

【十一月十三日】中国の銭其琛外交部長(外相)と渡辺美智雄外相がソウルで会談

■一九九二年 

【一月三日~六日】渡辺美智雄副総理兼外相が訪中

【四月六日~十日】江沢民中国共産党中央総書記が訪日。天皇皇后両陛下を中国に招待

【九月八日~十一月二十九日】「楼蘭王国と悠久の美女」展が東京で開催

【十月二十三日~二十八日】明仁天皇と美智子皇后が訪中。これは史上初の天皇の中国訪問

■一九九三年 

【二月十八日】中国銀行が東京銀行など日本の三十八銀行とグループを組み、東京で総額三億㌦の借款協議を締結

【三月二十六日】北京で総額八千四百万円の対中無償文化援助に関する交換文書に調印

【五月十八日】北京で中日エネルギー交流協会が成立

【七月十五日】「日本映画回顧展」が北京、上海などの都市で相次いで開催

【十一月十九日】江沢民国家主席はシアトルで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)非公式首脳会議に出席した際、細川護煕首相と会見

■一九九四年 

【二月二十一日】中国税関の統計によると、中日貿易額が三百九十億㌦を超え、日本が中国の最大の貿易パートナーに

【二月二十三日~三月四日】朱鎔基副総理が中国政府代表団を率いて訪日

【三月十九日~二十一日】細川首相が訪中。二十日、中日両国は環境保護協力協定に調印

【五月三日】北京で中日核安全協力協定に調印

【七月六日】中国政府が日本の債券市場で初めて三千六百億円のサムライ債を発行

【八月二十一日】竹下元首相と平山郁夫日中友好協会会長らが中国を訪問し、敦煌石窟文物保護研究陳列センターの落成式に出席

【九月二十六日】銭其琛副総理兼外交部長と河野洋平副総理兼外相が国連で会談

【十一月十四日】江沢民国家主席がジャカルタで開かれたAPEC非公式首脳会議に出席した際、村山富市首相と会見

■一九九五年 

【四月十日~十七日】喬石全人代常務委員長が訪日

【五月二日~六日】村山首相が訪中。北京で対中文化無償資金協力協定に調印

【八月十五日】抗日戦争勝利五十周年を迎えた際、村山首相が来日した『人民日報』記者に、日本の植民地支配や侵略行為などが中国人民にもたらした巨大な損害と苦痛に対し、深い反省と心からのお詫びを表明

【十月二十二日】江沢民国家主席がニューヨークで行われた国連成立五十周年を祝うための記念イベントに参加した際、村山首相と会見

【十一月十八日】江沢民国家主席が大阪で開かれたAPEC非公式首脳会議に参加した際、村山首相と会見

■一九九六年 

【五月二日】「現代中国美術展」が日本で巡回展

【八月十五日】「中日現代水墨画交流展」が北京の中国美術館で開催

【十一月二十四日】江沢民国家主席がマニラで開かれたAPEC非公式首脳会議に参加した際、橋本龍太郎首相と会見

■一九九七年 

【九月四日~七日】橋本首相が訪中し、「九·一八」記念館を参観。戦後中国東北地方を訪問した初めての現職首相となった

【十一月十一日~十六日】李鵬総理が訪日。「①相互尊重、内政不干渉②小異を残して大同につき、食い違いを適切処理③対話強化、相互理解の増進④互利互惠、経済協力発展⑤未来に目を向け、世世代代にわたる友好を実現」という中日関係を発展させる五原則を提起。また新たな中日漁業協定に調印

■一九九八年 

【四月二十一日~二十六日】胡錦濤国家副主席が訪日。中日関係は歴史を鑑として未来へ目を向けなければならないと強調した。

【八月十日】中国人民銀行がさくら銀行と住友銀行の上海支店の人民元業務を認可

【十一月二十五日】江沢民国家主席が訪日。これは中国国家元首として初めての日本訪問となる。二十六日、江沢民主席と小渕恵三首相が会談を行い、双方は『中日共同宣言』を発表

■一九九九年 

【七月八日~十一月二十一日】中日文化交流協定締結二十周年、新中国成立五十周年を記念するために、中日両国が「一九九九中日文化友好年」活動を共催

【七月八日~十日】小渕首相が訪中し、朱鎔基総理と会談。九日、両国は中国のWTO(世界貿易機関)加盟について共通認識に達し、また共同声明を発表

【十一月二十八日】朱鎔基総理、小渕首相、金大中(キム·デジュン)大統領がマニラで第一回中日韓首脳会談を行う

■二〇〇〇年 

【三月二十九日】両国政府間中国残留日本人孤児の肉親探しの新しい方法について協議

【五月二十日】中日文化観光交流大会が北京で開催。中日双方の約五千二百人が参加

【六月二十九日】両国政府間で中国公民の団体訪日観光についての協定が成立

【九月十三日】中国訪日観光団第一陣が日本へ出発

【十月十二日~十七日】朱鎔基総理が訪日し、森喜朗首相と両国の友好協力関係の発展、推進について会談

【十月二十四日】「中国国宝展」が東京国立博物館で開催

■二〇〇一年 

【一月十六日】中日両国の友好十七団体が北京で「新世紀の中日民間友好宣言」を共同発表

【四月三日】文部省が右翼団体が作った歴史教科書の検定を合格させ、中国側が強烈に抗議

【八月十三日】小泉純一郎首相が靖国神社を参拝。その後、中国側の厳しい抗議にもかかわらず毎年参拝を続け、この影響で、両国首脳の相互訪問が五年間にわたって中断

【十月八日】小泉首相が訪中。盧溝橋抗日戦争記念館を見学し、日本の中国に対する侵略の歴史に反省とお詫びを表明

【十月二十一日】上海のAPEC非公式首脳会議開催中、江沢民国家主席が小泉首相と会見

■二〇〇二年 

【四月二日~九日】李鵬全人大委員長が訪日。中日国交正常化三十周年を記念する「中国文化年」「日本文化年」の開幕式に出席

【四月十四日】「中日青年環境保護協力フォーラム」が北京で開幕

【五月八日】胡啓立全国政治協商会議副主席を名誉団長とする中国五千人観光交流団が訪日

【七月四日】「二十一世紀中日産学官交流フォーラム」が北京で開幕

【九月十八日~二十二日】「二〇〇二中国映画祭」が東京で開催

■二〇〇三年 

【五月三十一日】胡錦濤国家主席がサンクトペテルブルクで建都三百周年祝典に参加した際、小泉首相と会見

【九月四日~十日】呉邦国全人大委員長が訪日

【十月七日】温家宝総理がインドネシアのバリ島で開かれた第七回ASEAN+中日韓首脳会議に参加した際、小泉首相と会見

【十月二十日】胡錦濤国家主席がタイのバンコクで開かれた第十一回APEC非公式首脳会議に参加した際、小泉首相と会見

【十二月三十一日】中国の「女子十二楽坊」が、第五十四回『NHK紅白歌合戦』に出演。「紅白」に中国音楽グループとして初出場

■二〇〇四年 

【六月四日~十一日】日本の大相撲代表団が中国興行

【九月二十日~二十五日】河野洋平衆議院議長が代表団を率いて訪中

【十月二十五日】第一回中日東中国海問題協議が北京で開催

【十一月二十一日】胡錦濤国家主席がチリのサンチアゴで小泉首相と会談

【十一月三十日】温家宝総理がラオスのビエンチャンで開かれた第八回ASEAN+中日韓首脳会議に参加した際、小泉首相と会談

■二〇〇五年 

【四月十二日】中国の三十五団体と日本の二十五団体の代表が、東京で「平和と善隣友好に関するアピール」を共同発表

【四月二十三日】胡錦濤国家主席がインドネシアのジャカルタで開かれたアジア·アフリカ首脳会議に参加した際、小泉首相と会見し、中日関係を発展させる五つの主張を提出

【五月十二日~十四日】近松座が北京で歌舞伎公演

【五月十四日】北京で第一回中日戦略対話開催

【五月十七日~二十三日】呉儀副総理が愛知万博中国館ナショナルデーの開幕式に参加

【五月二十五日】「扶桑の旅――日本文物逸品展」が中国国家博物館で開幕

【十月二十二日】中日合作映画『単騎、千里を走る』が第十八回東京国際映画祭のオープニングを飾る

■二〇〇六年 

【二月二十一日~二十二日】「中日与党交流協議会」第一回会議が北京で開催

【三月三十一日】胡錦濤国家主席が日中友好七団体と会見し、中日関係の発展に関する重要な講話を発表

【六月十六日】中国映画祭が東京で開幕

【十月八日~九日】安部晋三首相が訪中し、「中日共同プレス発表」

■二〇〇七年 

【四月十一日】温家宝総理が安部首相の招きに応じて訪日。五年間中断されていた首脳相互訪問が再開し、「中日共同プレス発表」

【八月二十九日】曹剛川国防部長(国防相)が訪日し、翌日高村正彦防衛相と会談

【十一月二十八日】中国の海軍駆逐艦「深圳」が東京に到着。これは中国人民解放軍海軍艦艇の初訪日

【十二月二十七日~三十日】福田康夫首相が訪中し、胡錦濤国家主席の翌春の訪日で合意

■二〇〇八年 

【三月十日~十六日】日本青少年友好使者代表団一行千人が訪中し、「二〇〇八中日青少年友好交流年」プロジェクトがスタート

【五月六日~十日】胡錦濤国家主席が訪日し、福田康夫首相と『「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する中日共同声明』に調印

【五月十六日】四川汶川大地震発生後、初めての日本救援隊が被災地に到着。これは四川省に到着した初の海外救援隊でもある

【六月十日】日本の巡視船が釣魚島の周辺海域で中国台湾の漁船と衝突し、台湾の漁船が沈没した。中国側はこれに対して強い関心と不満を表明した

【六月十八日】中日双方が東中国海問題に関して、原則的にコンセンサスに達したと同時に発表

【六月二十四日】日本の海上自衛隊護衛艦「さざなみ」が広東省湛江港に到着。これは自衛隊艦艇の初訪中

【七月十五日】中国人作家楊逸氏の日本語小説『時が滲む朝』が芥川賞を受賞

【八月八日】福田首相が北京五輪開幕式に出席

【十月二十四日】麻生太郎首相が北京で開かれたアジア欧州会合の首脳会議に出席した際、胡錦濤国家主席と会談

■二〇〇九年 

【四月二十九日】麻生首相が招きに応じて訪中

【七月八日】中国公民の個人ビザ訪日観光第一陣が日本に到着

【十二月十日】民主党の小沢一郎幹事長が率いる六百余人の代表団が訪中。外交史上稀に見る大規模訪中団

【十二月十四日~十六日】習近平国家副主席が訪日。これは九月に日本民主党が政権党になった後、中国国家首脳の初めての訪日

■二〇一〇年 

【四月十四日】青海省玉樹地区で大地震が発生。日本政府は被災地区に約一億円の緊急無償援助を提供

【五月一日~十月三十一日】上海万博の日本人入場者数が五十三万四千人に達し、アジアで二番目

【七月一日】日本政府は中国の個人観光ビザ発給条件を緩和し、日本への中国人観光客が激増

【七月三十一日】伊藤忠商事の丹羽宇一郎元社長が在中国大使に就任し、初の民間出身の中国大使に

【九月七日】海上保安庁巡視船が釣魚島の海域で中国漁船と衝突し、翌日、中国漁船の船長が日本側に拘留され、二十五日に釈放。この期間中、両国関係は急激に悪化

■二〇一一年 

【二月二十一日】中国から二頭のパンダが上野動物園に到着。二〇〇八年に「リンリン」が死亡した後、三年ぶり

【三月十三日】東日本大震災発生後間もなく、中国国際救援隊が日本に到着。これは中国国際救援隊初の日本での救援活動。さらに中国は被災地にガソリン一万㌧、ミネラルウオーター六万本など大量の救援物資を提供。一方、宮城県の水産会社の佐藤充専務が、津波の襲来前、二十人の中国人研修生を救うために命を捧げた感動的な物語が中国に広く伝わる

【五月二十一日~二十二日】温家宝総理が中日韓首脳会談に出席するため訪日し、菅直人首相と会談

【六月八日】「二〇一一日本映画テレビウィーク·アニメフェスティバル」が北京で開幕

【七月一日】外務省が中国の観光客に有効期限が三年のマルチビザの発給を開始、初回の観光コースに沖縄観光を入れることをその条件とした。九月一日、中国人個人観光ビザの発給条件をさらに緩和し、最長滞在期間を三十日間に延長

【十月二十三日】「中国映画テレビウィーク·アニメフェスティバル」が東京で開幕

【十二月十五日】サッカー日本代表チームの岡田武史前監督が中国スーパーリーグの「杭州緑城」と契約を結び、十二月下旬から監督に就任。日本代表チームの監督がアジアのサッカーチーム監督になるのは初めて

【十二月二十五日~二十六日】野田佳彦首相が初訪中。胡錦濤国家主席と会談し、戦略的互恵関係を深化させることについて意見交換

■二〇一二年 

【二月十六日】二〇一二年「中日国民交流友好年」開幕式が北京で開催。温家宝総理と野田首相がそれぞれ祝辞を寄せた

【三月二十九日】村山元首相が、東日本大震災及び津波の被災地からの青少年百人を率いて訪中し、友好植林活動にも参加

【四月十日】東京で「中日国民交流友好年」中国側開幕式

【四月十八日】初回の中日省長·知事フォーラムが東京で開催

【四月二十二日~二十九日】唐家璇前国務院委員が訪日。三月十五日に中日友好協会会長に就任後の初訪日

【五月十三日~十四日】温家宝総理が北京で第五回中日韓首脳会談を主宰し、日本の野田佳彦首相·韓国の李明博大統領が参会

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