国交正常化から 感動と知恵40年の歩み

2023-05-29 14:16:00
 

改革開放を強力に支援

1978年10月、鄧小平氏は訪日した際に次のように語った。「先ずはわれわれの立ち遅れを認めることだ。素直に立ち遅れを認めてこそ希望がある。次はよく学ぶこと。今回、日本に来た目的は、日本に教えてもらうことだ」と。その後、中国は日本から大量の先進的な技術を次々と導入し、中国の改革開放と現代化建設を支援する強力な原動力となった。 

先進設備を操作して、ブラウン管内の真空度を高める松下カラーブラウン管有限公司の作業員。中日合弁の同公司は、国家統一計画プロジェクトの1つで、投資総額は5億元に達した
先進設備を操作して、ブラウン管内の真空度を高める松下カラーブラウン管有限公司の作業員。中日合弁の同公司は、国家統一計画プロジェクトの1つで、投資総額は5億元に達した

 

新日鉄方式で宝山製鉄所 

一九七八年十月に、鄧小平氏が日本を訪問した際に、新日鉄君津製鉄所を見学した。そのとき鄧氏は、案内した新日鉄の稲山嘉寛会長と斎藤英四郎社長に対して、「この工場をそのまま、わが国で一つ建てることは可能でしょうか」と尋ねた。

当時、文革を終えてまもない中国は、それまで棚上げにされていた事業がすべて再スタートを待っていた。一方、日本はすでに外来の技術を導入、吸収した上で、自らの鉄鋼業を大いに発展させていた。中国はこれを高く評価し、共産党中央政治局は冶金部(日本の省に相当)から鉄鋼業の長期計画に関する報告を聴取する際に、日本から技術と設備を導入して製鉄所を建設することについて検討した。政治局は何度も検討を重ねた結果、最終的に新日鉄からプラントを導入して上海に製鉄所を建てるという決定に達した。

一九七八年十二月二十二日、まさに中国の歴史が重大な転換期を迎えた象徴といえる中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議(三中全会)が閉幕したその日に、上海で、中国技術輸出入総公司と新日鉄が、上海宝山製鉄所に新日鉄プラントを導入する総協議書に調印した。翌日、改革開放の「第一号プロジェクト」と言われる宝山製鉄所が正式に着工した。

宝山鉄鋼プロジェクトは新中国成立以来、規模が最も大きく、投資額が最も多いプロジェクトとなっている。建設当初から疑問視する声も絶えなかったが、鄧小平、陳雲両氏など中央指導部の支持によって、最後まで建設することができた。

一九八五年九月、新中国初のプラントを導入し、鉄鋼の年間生産高が三百万㌧に上る宝山製鉄所の第一段階プロジェクトは順調に操業を始めた。

1985年9月の上海宝山鋼鉄公司(製鉄所)。改革開放後、新日鉄の協力で建設された。今日、中国最大の鉄鋼生産基地となり、全国鉄鋼生産量の10%を生産している
1985年9月の上海宝山鋼鉄公司(製鉄所)。改革開放後、新日鉄の協力で建設された。今日、中国最大の鉄鋼生産基地となり、全国鉄鋼生産量の10%を生産している
天津第一自動車トヨタ第2工場の生産ラインでクラウンを組み立てる作業員
天津第一自動車トヨタ第2工場の生産ラインでクラウンを組み立てる作業員

 

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