高速鉄道で変わる経済地図

2023-05-29 14:55:00
「四縦四横」の鉄道網 見取り図(元鉄道部資料より)
「四縦四横」の鉄道網 見取り図(元鉄道部資料より)
初めての車両高速総合検査·測定が実施された杭甬(杭州−寧波)高速道路newsphoto
初めての車両高速総合検査·測定が実施された杭甬(杭州−寧波)高速道路newsphoto

一九七八年の秋、鄧小平氏が日本で新幹線を視察した際、列車が疾風の如く走るのを見て、感慨深げに言った。「風のように速いね。新幹線が人の背中を押して走らせているようだ。私たちも今走らなければ!」 

当時、一部の先進国の高速列車はすでに時速三百㌔に達していたが、中国の旅客列車の平均時速はわずか四十三㌔に過ぎなかった。 

三十年余りが過ぎ去り、中国の高速鉄道は飛躍的な発展を遂げた。二〇一二年末、哈大(ハルビン—大連)高速鉄道と京広(北京—広州)高速鉄道が全線開通することで、中国の高速鉄道の総延長距離が九千三百五十六㌔に達し、中国は本当の意味で「高速鉄道時代」に突入した。 

高速鉄道の開通は、人々の旅行スタイルを変えるばかりか、都市や都市群の発展の新たな契機となるだろう。 

PART 1 総延長も速度も世界一に

張春侠=文 

1978年10月26日、鄧小平氏は東京から新幹線に乗車して京都を訪問した
1978年10月26日、鄧小平氏は東京から新幹線に乗車して京都を訪問した

二〇〇七年以前の中国には「高速」鉄道と言えるものはなかった。しかし、わずか六年後には、中国の高速鉄道は「四縦四横(北京——広州、北京——上海、北京——ハルビン、杭州——深圳の四本の縦の鉄道路線と、徐州——蘭州、上海——昆明、青島——太原、上海——成都の四本の横の鉄道路線の総称)」の快速旅客運輸網の基本が完成した。二〇一二年末、中国の高速鉄道の総延長は九千三百五十六㌔に達し、世界のその他の国をリードするまでになった。同時に全国の鉄道営業キロ数も九万八千㌔に達し、世界第二位となっている。

■「四縦四横」のネットワーク 

「父母に会うために北京に里帰りする時、かつて三回春節(旧正月)を列車の中で過ごしました」と語る馮さん(四六)は、もう二十年余りも広州に住んでいるが、毎年の里帰りの道のりの苦労はまだ記憶に新しい。「頻繁に広州と北京を往復するので、いつの間にか切符のコレクションができあがっていました」。彼女が保存している切符からは、広州から北京までの所要時間の変化が見て取れる。一九九八年には三十六時間かかったものが、二〇一二年には二十時間に短縮、さらに二〇一二年十二月二十六日に京広高速鉄道が開通すると、馮さんの里帰りの所要時間は八時間にまで短縮された。早朝、広州で飲茶を楽しみ、夜には北京で北京ダックを食べるという夢が実現するようになったのだ。

京広高速鉄道は、中国の「中長期鉄道網計画」の中の「四縦四横」の高速鉄道の重要な「縦の一本」であり、要となる鉄道路線のひとつで、全長二千二百九十八㌔、全線の設計時速は三百五十㌔、初期の運行時速は三百㌔に及んだ。京広高速鉄道は中国の南北を貫く大動脈で、現在営業キロ数が世界最長の高速鉄道でもある。北から南へ北京、河北、河南、湖北、湖南、広東の六省·直轄市を通り、首都の北京から石家荘、鄭州、武漢、長沙、広州という五つの省都と多くの地方都市を通過する。北京から広州まで、最短運行時間は八時間にコントロールされており、今までの最速の普通列車よりも十二時間半短縮された。

元鉄道部(日本の省に相当)科学技術司の周黎司長によると、「北京、石家荘、鄭州、武漢、広州では、すでに開通している北京——上海、北京——天津などの都市間高速鉄道が京広高速鉄道と連結されたため、京広高速鉄道の全線開通により、中国の高速鉄道網は基本的に完成したといえます」

それだけでなく、京広、京滬(北京——上海)という二本の南北の高速鉄道をより便利に連結させるため、鄭州(河南省)から徐州(江蘇省)までの高速鉄道の初歩的な設計がすでに許可済みで、現在は工事開始前の下準備が行われている。これは京滬高速鉄道と京広高速鉄道の重要な連絡線となる。

「第十二次五カ年規画」で定められた目標によれば、今後三年間で全国の鉄道の基本建設に一兆三千三百万億元が投資され、建設が開始される新路線は二万七百㌔にも達する。二〇一五年までには、「四縦四横」の高速鉄道を骨組みとする快速鉄道網が基本的に完成し、高速鉄道の総延長距離は一万八千㌔前後に達し、その中には時速二百~二百五十㌔の高速鉄道一万千三百㌔、時速三百~三百五十㌔の高速鉄道六千七百㌔が含まれていて、中国の人口五十万以上の都市を基本的にカバーする見込みだ。今年の初め、全国鉄道事業会が明らかにしたところによれば、今年の鉄道固定資産投資規模は六千五百億元にまで達し、その中でも基本建設投資が五千二百億元で、建設が予定されている新路線は五千二百㌔以上にも達する。

■五年で五十年の道のりを歩む 

現在、中国の高速鉄道の営業キロ数はすでに九千三百五十六㌔に達し、建設中のものは一万七千㌔で、規模といい速度レベルといい、世界一である。信じ難いことに、中国がこうした高速鉄道時代に突入するのに、わずか五年という年月しかかかっていない。

早くも一九九〇年代後半に、高速鉄道を建設しようという論議が高まっていたが、意見の一致を見なかったため、ずっと建設に着手することができなかった。二〇〇四年、国務院は「中長期鉄道網計画」を認可した。この計画は、二〇二〇年までに、全国の鉄道営業キロ数を十万㌔にまで延長するというもので、その中には旅客専用線一万二千㌔以上が含まれ、投資総額は二兆元に達する。ここでいう旅客専用線とは、つまり高速鉄道である。この時から、中国は世界の最新技術を導入、消化、吸収、革新する高速鉄道の道を歩み始めた。

二〇〇四年から二〇〇五年にかけて、中国南車集団青島四方自動車車両株式有限公司、中国北車集団長春軌道客車株式有限公司、中国北車集団唐山軌道客車有限責任公司は、カナダのボンバルディア、日本の川崎重工業、フランスのアルストム、ドイツのシーメンスから技術を導入し、共同で高速列車の設計·生産を開始した。絶えず技術を消化·吸収した後、二〇〇七年四月十八日、六回目の全国鉄道スピードアップが行われた際に、時速二百㌔以上の百四十本の国産高速列車が初登場した。多くの外国人は、中国は少なくともこのプラットホームに十年は留まるだろうと考えたが、中国人はそんなに待たなかった。二〇〇八年二月二十六日、科学技術部と鉄道部(当時)は、「中国高速列車の独自イノベーションによる共同活動計画」に署名し、中国は京滬高速鉄道の運行に必要な時速三百五十㌔クラス以上の高速列車の研究·開発を行うことを明らかにしたのである。

その後数年間、高速鉄道技術の研究·開発、イノベーションに、国内の二十余りの大学や研究所、五十人余りの中国科学院·中国工程院院士、一万人余りの研究者が直接関与して、高速鉄道の要となる一連の技術的問題を系統的に解決した。そして、中国の高速鉄道技術は世界トップクラスのものとなり、追従者から一気に世界のリーダーへと躍進した。

一九六四年、日本で新幹線が開通し、時速二百㌔で世界の高速鉄道の先鞭をつけた。その後、二〇一一年に日本で一番速い新幹線「はやぶさ」の営業運転が開始され、最高速度が時速三百二十㌔に達するまで、五十年近い年月を要した。

二〇〇四年、中国は時速二百㌔の高速列車技術を導入し始めた。二〇〇八年八月一日、独自の知的財産権を持つ初の高速鉄道、京津(北京—天津)都市間高速鉄道が時速三百五十㌔で営業運転を開始した。二〇一〇年、時速三百八十㌔のCRH380A型が完成した。中国は先進国が四十年かけて歩んできた道のりを五年で駆け抜けたことになる。

二〇一二年十二月末時点で、中国の時速二百㌔以上の高速鉄道の総延長距離はすでに一万三千㌔近くになっている。営業キロ数、運行時速、建設規模、発展速度のどれをとっても世界第一位である。

中国の高速鉄道は今でも記録を更新し続けている。二〇一〇年十二月三日、中国が独自に研究·開発した「和諧号」の新世代高速列車が京滬高速鉄道でテスト運行が行われ、四八六·一㌔という驚くべき時速で、再び高速鉄道の世界記録を塗り替えた。

昨年9月28日、 京広高速鉄道の鄭州—武漢区間が正式に開通した
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哈大高速鉄道は運行開始後100日が経ち、すでに幾千万もの旅客を運んでいる(CFP)
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中国西部で初の成渝高速鉄道(旅客専用路線)が、西は成都、東は重慶までの全長308㌔を走り、2015年に開通予定である
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【ミニ資料①】
列車番号の頭文字の意味 

 

C 都市間高速列車

D 動車組(総括制御列車、従来軌道を走る高速列車)

G 高速列車

Z 直行列車

T 特別快速列車

K 快速列車

L 臨時旅客列車

A 鉄道局管轄内の臨時旅客列車

Y 観光専用列車

 

 

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