高速鉄道で変わる経済地図
PART 3 気を吐く沿線の経済成長
張春侠=文
ここ数年、京滬(北京——上海)、京広(北京——広州)、哈大(ハルビン——大連)などの高速鉄道の完成·開通に伴って、中国の東部、中部、中西部の多くの都市が「四縦四横」の中に組み込まれた。東西南北の大通路が貫通しただけでなく、環渤海、長江デルタ、珠江デルタという三つの都市群の軌道交通網も形成された。高速鉄道は人々の移動方法と生活習慣を変えると同時に、沿線地域の経済成長をけん引する新たなエンジンとなりつつある。
■一つにつながる経済圏
「京広高速鉄道の完成·開通により、北京に近いというわれわれの地理的優位性が一層際立ちました。この近さによって、北京の産業、資本移転、技術や人材などの生産要素の拡散の受け入れに有利となります」と河北省邢台市発展·改革委員会の趙昌晶副主任は語る。
京広高速鉄道邢台東駅の建設に伴って、邢台市政府は都市新区として高速鉄道エリアの建設を計画しており、さらに都市の発展戦略を調整した。それは、高速鉄道が邢台の発展にもたらす強い作用を予想したからだ。
今、この高速鉄道エリアは多くのトップクラスの企業を引き付けている。米『フォーブス』誌による企業トップ五〇〇社の一つ、新興際華集団がこのエリアで金融センターとハイテク産業パークを建設しており、今後五年間の総投資額は五百億元にのぼる見込みである。富士康科技集団(フォックスコン·テクノロジー·グループ)も、このエリアで労働者五万人規模の工場建設に乗り出した。
京滬、京広、哈大、京津(北京—天津)高速鉄道などの開通は、中国三大経済圏や経済圏内部の高速循環を実現し、地域間の「経済距離」を縮めた。高速鉄道は沿線の旅客の移動に利便をもたらしただけでなく、その膨大な利用者数がさらに沿線都市のビジネス·貿易、観光、不動産経済の成長をけん引している。それと同時に、高速鉄道沿線には多くの新都市や工業区が出現し、中国の「経済地図」を塗り替えつつある。
全長千三百十八㌔の京滬高速鉄道は、北京、上海を含む七つの省·直轄市にまたがり、環渤海と長江デルタという二つの経済圏をつなげている。沿線の面積は大陸部全体のわずか六·五%だが、人口は四分の一を占め、GDPに対する貢献度も四〇%を占める。ここは中国経済の発展が最も活発で潜在力がある地域だと言える。
京滬高速鉄道の開通後、沿線の二十四駅が置かれた十数の都市で、新しい市街地の建設が計画されている。山東省徳州市発展·改革委員会総合課の楊雲広課長によれば、以前は徳州の企業·投資誘致はあまりメリットがなかったため、誘致できたのはほとんどが小企業だった。しかし高速鉄道の開通後は、有名企業の誘致に次々と成功している。例えば、中国建材(CNBM、ナショナル·ビルディング·マテリアル)、紅星美凱龍(MACALLINE)のような十億元規模の投資を行う大手企業、大型プロジェクトがわれ先にと徳州に進出してきた。高速鉄道の開通後、徳州では高速鉄道新区と国家級ハイテク産業パークが建設され、「企業誘致」は「企業選択」に変わった。さらに大規模な農業産業パークの建設によって、徳州にある七千の農家が標準化、集約化という新型農業の道を歩むようになった。
■高速鉄道が富を運ぶ
「昔は『汽笛が鳴れば、一万両儲かる』と言われましたが、現在は『高速鉄道が開通すると、富がやってくる』と言えます」と、湖南省長沙市の陳沢琿副市長は語る。中国で最も早く「高速鉄道による経済成長」の恩恵を受けた都市である長沙市は武広(武漢——広州)高速鉄道開通後のわずか数年間で、駅周辺がまったく様変わりし、田舎の農村風景から、突然高層ビルが建ち並ぶ市街地となり、万単位の就職機会を提供する都会となった。
日本では、一九六〇年代、東海道新幹線の建設により、東京から大阪までの沿線地帯の産業が発展した。それと同時に、大都市の加工業が大挙して沿線に移動し、大都市の環境浄化に貢献し、沿線の資源·経済の開発にも大きな役割を果たした。
「京広高速鉄道の全線開通後、沿線の主要都市間の時間的·空間的距離が大いに短縮され、隣接都市との『一体化』が効果的に推し進められるようになり、沿線の都市化、工業化、情報化の発展が加速しました」と、元鉄道部科学技術司の周黎司長は語る。
それと同時に、京広高速鉄道の強い影響力により、環渤海経済圏、中原経済区、武漢都市圏、長株潭(長沙、株洲、湘潭)都市圏、珠江デルタ経済圏という五つの経済圏がつながった。時間コストを効果的に下げ、人員移動を便利にし、沿線地域の経済成長をけん引し、産業移転を加速させるという高速鉄道の役割は明らかだ。
関連機構の推計によると、京広高速鉄道の経済成長促進効果は毎年三百億元を超える。北京から鄭州の一部分だけでも、二〇三〇年までの経済成長促進効果は二千七百五十八億四千四百万元に達し、年平均百五十三億元の計算になる。
京広高速鉄道は五つの経済圏をつなげ、沿線の二十八都市を八時間経済圏に組み入れた。京広高速鉄道の開通五年後には、沿線各都市のGDPは毎年三~五%増となると予測されている。
京広高速鉄道の開通により、沿線各地でも野心的な発展計画が立てられている。京広高速鉄道の開通および滬昆(上海—昆明)高速鉄道の完成後、長沙市は武漢まで一時間、広州まで二時間、上海まで三時間、昆明まで四時間、北京まで五時間という「一二三四五通勤圏」を形成する。この地理的優位性に基づいて、長沙市は高速鉄道駅の周辺で、全国、とりわけ中部地区に影響を与えるグローバル金融、コンベンション&エキジビション、ファッションブランド品ショップ、文化メディア、医療保健、現代的物流センターを開発·建設し、現代的なサービス産業群を構築する予定だと、長沙市雨花区の邱継興区長は語る。
開通後三年が経つ武広高速鉄道は、珠江デルタから長株潭都市圏·武漢都市圏への産業移転を大いに促進した。この三年で武広高速鉄道は旅客延べ九千万人を運んだ。郴州、衡陽をはじめとする湘南地区は、二〇〇九年から現在まで、産業移転プロジェクト三千余を受け入れ、それは全省の受け入れ数のほぼ四割となる。その他、武広高速鉄道の開通後、湖南省沿線都市の消費品小売額は前年に比べ大幅に増えており、全省の平均水準をはるかに上回っているという。
昨年末、武漢大学三年生の張暁冉さんは、京広高速鉄道がまもなく開通することを知り、冬休みは高速鉄道に乗って河北省へ帰省しようと考えていた。ちょうどその時、北京の大学で勉強している友だち数人が、気が早いことに、来年の春に武漢大学で花見をしたいと彼女に打診してきた。「これまでも広東省や湖南省の大学からの友だちを迎え入れたことはありましたが、今年以降は、北京の友だちも『接待対象リスト』に入ったことになりますね」。張さんや一般市民に高速鉄道による観光の強みを感じさせたのは、武漢のサクラの魅力にほかならない。「武漢大で花見をしよう」はすでに観光市場における四月のキャッチフレーズとなっている。
この三年、武漢に花見に行った観光客は毎年約三割のペースで増えており、二〇一二年の春に武漢大学に花見に行った人だけで延べ百万人以上だったという。そのうち、高速鉄道による観光客は半分以上に上る。
高速鉄道の恩恵をこうむったのは武漢だけではない。
京広高速鉄道が開通すると、河南省の省都である鄭州から武漢まではわずか二時間余り、長沙までは三時間余りとなり、広州まですら六時間以内になったため、沿線にある各省·直轄市の距離は大いに短縮したといえる。高速鉄道時代における観光業の新たな展開に対し、観光市場の先手を取るため、今年一月から、河南省観光局は同省を走る高速鉄道の沿線九都市の関係部門を組織して、南は広州·武漢、北は河北·北京·天津に赴き、「移動する河南」をテーマとする高速鉄道による観光PRキャンペーンを始めた。
京広高速鉄道の全線開通は沿線地域の観光市場にも大きな変化をもたらした。沿線の観光市場には、競争しながら協力し合うという新しい発展モデルが生まれ始めた。一月二十六日、「中国高速鉄道観光メディア連盟」が武漢で発足し、『長沙晩報』『長沙日報』『北京青年報』『広州日報』をはじめとする十八社の大手メディアが契約を結び、観光コースの統合·開発、観光コースの集中的アピール、観光市場の共同宣伝·セールスなどの多くの方法によって、国内でもトップクラスの観光PRの舞台をつくりあげることを約束した。
高速鉄道の開通と普及は従来の観光に新たな変化をもたらした。高速鉄道沿線にある多くの都市は、これまでの観光客の送り出し地点から受け入れ地点となり、交通の便利さによって、より多くの観光客が列車から降りて観光するようになった。京津都市間高速鉄道が開通してから、天津市が受け入れた観光客数は今までより三五%増となり、観光客でごった返すレストランや観光地も少なくない。また、鄭州—西安間の高速鉄道が開通して以来、沿線にある鄭州、洛陽、三門峡、華山、渭南、西安など高速鉄道の駅が設置された都市の観光収入は二割増しとなった。京滬高速鉄道の開通のため、二〇一一年七月~十二月、曲阜にある孔子ゆかりの観光地(孔府、孔子廟、孔林)は延べ二百五十三万人の観光客を受け入れ、前年同期比一五%増となった。
中国観光研究院学術委員会の魏小安主任は、今後五年の間に、高速鉄道によって消費や観光のスタイルが変わり、一時間交通圏内の市内消費スタイル、二時間交通圏内の週末レジャースタイル、三時間交通圏内のドライブ観光スタイルなどが生まれるだろうと考えている。
【ミニ資料3】
中国鉄道の発展の歩み
1952年/成渝(成都-重慶)鉄道が完成し、新中国成立後に初めて建設された鉄道となった
1957年/長江にかかる初の鉄道橋である武漢長江大橋が完成
1958年/中国初の電化鉄道である宝成(宝鶏-成都)鉄道が開通
1983年/中国初の複線電化鉄道である京秦(北京-秦皇島)鉄道が開通
1992年/中国初の貨物専用線路である大秦(大同-秦皇島)鉄道が全線開通し、その技術は国際レベルに
1994年/中国初の準高速鉄道である広深(広州-深圳)鉄道が完成し、列車運行時速が160㌔に
1996年9月1日/全長2553㌔の京九鉄道が完成し、北は北京西駅、南は深圳、香港の九龍までを結ぶ
2004年8月/時速200㌔の高速列車製造技術の導入を開始
2006年7月1日/世界で最も海抜が高いところを走り、距離も最長(全長1956㌔)の高原鉄道である青蔵(西寧-ラサ)鉄道が一年前倒しで完成し、開通
2008年8月1日/京津都市間高速鉄道が開通し、最高時速が350㌔を超える、中国が独自の知的財産権を持つ世界一流レベルの高速鉄道が初めて生まれた
2009年12月26日/武広(武漢-広州)高速鉄道が全面的に運行を開始し、中国が全面的に高速鉄道技術を掌握し、率先して高速鉄道新時代に突入したことの象徴となった
2010年12月3日/中国南車集団が「和諧号」380A新世代高速列車を研究·開発し、テスト走行で最高時速486.1㌔を記録
2011年6月30日/全長1318㌔の京滬高速鉄道が開通
2012年12月1日/全長921㌔の哈大高速鉄道が正式に開通。これは中国の高緯度寒冷地帯を走る初めての高速鉄道幹線で、世界初の高緯度寒冷地帯の高速鉄道でもある
2012年12月26日/全長2298㌔の京広高速鉄道が運行を開始。中国の「四縦四横」高速鉄道網が基本的に実現
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