1989年~1994年
1980年代後期、中国の物価が上がった。物価の上昇は市民の暮らしにどのような影響をもたらしたのか。本誌記者は問題意識を持ち、特定の時代の社会問題に注目し、自分の目で見て、読み応えのある記事を書いた(1989年1月号) こちらから全文閲覧ができます
1990年代初頭、中国政府の力強いコントロールによって、市場内の農産物の種類が充実し、価格も安定に向かい、北京市民の「買い物籠」が満ちるようになり、改革・発展の中で生じた一時的な経済問題に対する人々の不安も大幅に緩和された(1990年4月号) こちらから全文閲覧ができます
1990年4月、中国政府は上海浦東の開放的開発を認可したことで、中国の改革開放がさらに深く推進される新章を切り開いた(1991年12月号) こちらから全文閲覧ができます
船引きは長江三峡で2000年以上の歴史を持つ古い職業だ。三峡プロジェクト着工前の1991年、本誌記者は現地へ取材に行き、伝統的な作業をする彼らの最後の姿をカメラに収めた(1992年8月号) こちらから全文閲覧ができます
1992年は中日国交正常化20周年で、両国関係はピークを迎えた。この年、明仁天皇と美智子皇后(現上皇・上皇后)が中国を訪問し、2000年以上にわたる中日交流史で初の天皇訪中を果たした。これは中日友好交流で重要な出来事だった(1993年1月号) こちらから全文閲覧ができます
中国が重点的に実施する戦略の一つとして、長江経済ベルトの開発は長江の上中下流一帯の足並みそろった発展と、沿岸地帯の質の高い発展の推進に重要な役割を果たした。本誌はこの戦略的配置を体系的に詳しく説明する記事を連載した(1994年5月号) こちらから全文閲覧ができます