1953年~2023年

2023-05-29 15:34:00

本誌記者は福建省恵安県の漁村に入り、変わりない現地の純朴な風習を取材し、その土地のリアルな暮らしを報道した(1984年1月号) こちらから全文閲覧ができます 

 

 

1984年9~10月、第2回中日青年友好大交流が繰り広げられ、訪中団メンバーはそれぞれ中国の6都市に行き、各地で熱烈な歓迎を受け、深い交流を行った。日本の各界から来た3000人余りの青年代表と100万人近い中国青年の大交流は、中日の代々の友好を推進し、アジアと世界の平和と安定を守るという両国の青年の素晴らしい願いを示した(1985年2月号) こちらから全文閲覧ができます 

 

  

1985年1011月、日本の友好団体の招待を受けた500人余りの中国青年が「中日友好の船」に乗り、中日友好交流は再び盛り上がりを見せた。訪日団は中国青年の生き生きとした姿を見せ、交流活動でも日本社会への理解を深めた(1986年3月号)  こちらから全文閲覧ができます 

 

1982年、計画出産政策(一人っ子政策)が中国の憲法に盛り込まれた。本誌はアンケートを取り、政策の実施状況について客観的な報道と分析を行った(1987年5月号)  こちらから全文閲覧ができます 

 

 

改革開放政策が実施され続ける中、中国に来て働き暮らす外国人も増えた。本誌では「外国人が見た中国」というタイトルで、外国人視点の当時の中国を紹介した(1988年4月号) こちらから全文閲覧ができます 

 

1980年代後期、中国の物価が上がった。物価の上昇は市民の暮らしにどのような影響をもたらしたのか。本誌記者は問題意識を持ち、特定の時代の社会問題に注目し、自分の目で見て、読み応えのある記事を書いた(1989年1月号)  こちらから全文閲覧ができます 

 

1990年代初頭、中国政府の力強いコントロールによって、市場内の農産物の種類が充実し、価格も安定に向かい、北京市民の「買い物籠」が満ちるようになり、改革発展の中で生じた一時的な経済問題に対する人々の不安も大幅に緩和された(1990年4月号) こちらから全文閲覧ができます 

 

1990年4月、中国政府は上海浦東の開放的開発を認可したことで、中国の改革開放がさらに深く推進される新章を切り開いた(1991年12月号)  こちらから全文閲覧ができます 

 

船引きは長江三峡で2000年以上の歴史を持つ古い職業だ。三峡プロジェクト着工前の1991年、本誌記者は現地へ取材に行き、伝統的な作業をする彼らの最後の姿をカメラに収めた(1992年8月号) こちらから全文閲覧ができます 

 

1992年は中日国交正常化20周年で、両国関係はピークを迎えた。この年、明仁天皇と美智子皇后(現上皇上皇后)が中国を訪問し、2000年以上にわたる中日交流史で初の天皇訪中を果たした。これは中日友好交流で重要な出来事だった(1993年1月号) こちらから全文閲覧ができます 

 

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